時代を見る目 222 私の出会った子どもたち [3]

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

竹本克己
元 千葉県小中学校教諭
北海道教育大学 教職大学院教授

「お父さん、日曜日のお父さん。何かおこることはないかとギロギロした目で家の中を見る。あっ、また、こっちを向いた」小学6年のY男が、担任の私との交換日記に書いてきた一文である。
Y男の父親は小学校校長。Y男は中学で不良グループに入り、悩んだ母親は、父親に中学校の先生と話し合ってほしいと頼んだが、父親は「中学校の指導が悪い」と決めつけ、動こうとしない。困った母親は小学6年の時の担任であった私に手紙で相談してきた。母親への返事の中に冒頭の交換日記のコピーを同封した。「お父さんにこれを見せて『中学校の先生と協力してY男を支えてほしい』という私の気持ちを伝えてください」と書き添えた。
父親は中学校へ行き、担任と話し、担任はその後、Y男に熱心にかかわってくれ、紆余曲折はあったがY男は高校へ進学していった。

*    *    *

新しいクラスを受け持ち、子どもたちの個性が段々わかってくると、どの子が手のかかる子かが見えてくる。そして、家庭訪問をして親と話してみると、子どもへのイメージが変化する。
「あの家庭であの親の元で、よくがんばっているなあ」と、子どもの生きる健気さを感じる。反対に「やっぱりなあ」と納得してしまうこともある。これが教師の最も危険な落とし穴である。
「親の養育態度と子どもの性格」は、多くの研究結果が発表され、事実、親の人生を背負って子どもは自分の人生を生きている。しかし、子どもの問題で今悩んでいる親が、養育態度を改めるように求められても急には変われない。親自身が“個性ある親”に養育されてきた子どもである。研究結果、教育論の中で被告席に立たされる親がさらに落ち込み、自信をなくす。

*    *    *

盲目に生まれついたのは、「神のわざがこの人に現れるため」(ヨハネ9・3)というイエス様の視点に救われる。原因論から目的論への転換である。
厳格な親であっても溺愛する親であっても、そこから子どもとのかかわり方を学び始め、子どもと一緒に変わっていこうとする姿勢の中に、解決のサイクルが動き出す。私ができることは、「ここから歩み出そう」とする親子のそばに寄り添うことのように思う。模範解答や正論が学校・家庭・教会にあふれている。しかし、良きサマリヤ人に出会うことの少ない時代である。

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

Buy Now

bible verses about welcoming immigrants

Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

Blog
About Us
Message
Site Map

Who We AreWhat We EelieveWhat We Do

Terms of UsePrivacy Notice

2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.

Home
Gospel
Question
Blog
Help