神戸改革派神学校 校長
吉田 隆
“宗教改革500周年”という言葉が昨年あたりから盛んに見受けられ、今年は肝心の10月31日に行き着く前にすでに食傷気味である。
お祭り好きなのは、日本人に限らないらしい。今年は、本場ドイツもそうとうな盛り上がりようで、さまざまな行事が目白押し。ルター・グッズも、定番の記念切手やTシャツからルター人形や“ルター・バーガー”まで。私は今年ドイツに出かけた同僚牧師から「メガネ拭き」をお土産にもらった。
表面にはルターの肖像とエペソ2章8節のみことば(もちろん、ルター訳!)。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です」。このメガネ拭きで汚れた眼鏡を拭くと、何とまぶしいほどに神の恵みを再発見する! ということなのだろうか。
ルター訳での「恵み」は、ドイツ語では「グナーデ」。最近精度を増したと言われるGoogle翻訳に入れてみると、なんと「グナーデ」も英語の「グレイス」も日本語では「優美」。ちなみに、逆に日本語を入れてみると「恵み」も「恩恵」も「グナーデ」にならない。
「恩寵」でやっと出てくる。英語ではさすがに「恵み」で「グレイス」となるが、「恩恵」では「ベネフィット(益)」。なるほど。こうしてみると、私たちが無意識に使っている「恵み」や「恩恵」という言葉もまたキリスト教専門用語で、一般の感覚とはズレているのだなあと改めて気づく。
主の「恵み」は、主の「優美」さ。これはこれで一理ある。しかし、そこには「恵み」を勝ち取られた、壮絶な十字架の死のイメージは出てこない。ひょっとすると、教会でも「恵み」が「優美」に“変換”されてはいないだろうか? ちょっと(否、そうとう)気になった。
宗教改革は、神の言葉の再発見から始まった。聖書の言葉の意味の再発見である。ルターは、それを庶民の言葉に置き換えたのだ。「神が我らの言葉で語っておられる!」そこに信仰の覚醒と革命が起こった。言葉の力を軽んじてはならない。
神の「恵み」が単なる「優美」さと誤解されているとしたら、その原因は聖書の訳語のみならず、少なからず、それを説き明かす者にもあろう。あの圧倒的な神の「恵み」を、今日、どう表現し伝えればよいのだろう。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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