369 時代を見る眼 次世代伝道のために〔3〕 「スデニとイマダとノビシロ」トリオを信じて生きる教会

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

単立 木山キリスト教会 牧師
松尾 献

 

みなさんは、「スデニとイマダ」を知っていますか? お笑いコンビ名ではありません。「スデニとイマダ」は、神の国に関することです。
イエス様はこの地上に来られた時に「もう神の国はあなたがたのところに来ているのです」(ルカ11・20)とおっしゃいました。
イエス様を通して、神様の愛の支配はスデニ始まりました。しかし同時に、神様の愛の支配は、イマダ完成はしていません。事実、今もこの世界に痛みや悲しみは存在します。しかしやがて神様の愛の支配は、必ず完成するのです。「また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない……」(黙示録21・1~4)とあるとおりです。
私たち教会は、このスデニとイマダの間で生きています。「御国が来ますように」。神の国の完成を待ちわびながら、イエス様の愛に倣って生きるものです。つまり教会にはまだまだノビシロがある、のです。教会には成長痛があるのです。
時々聞かれます。私たちの教会には子どもがいない。我が子も教会から離れている……どうしたらいいですか? 私は、「今」できることをしましょう、と言います。
二人の農夫の話をして終わります。
あるところに二人の農夫がいました。二人とも神様を信じ、神様が恵みの雨を降らせてくださると信じていました。一人の農夫は「雨が降りますように」とひたすら祈ります。もう一人の農夫は、神様が雨を降らせてくださるからこそ、自分にできる準備を始めます。雑草を抜く、種を蒔く……神様に祈りつつ、自分にできることをします。
皆さんは、どちらの農夫のタイプでしょうか。私は後者でありたいと思います。神様に信頼することと、私たちが努力することは、決して矛盾しません。むしろ神様を信じているからこそ、自分の持てる最善を尽くせるのです。
教会学校がないのなら、教会で、「神様、子どもと一緒に礼拝できますように」と祈り始めることはできます。教会学校の作り方の学び会は始められます。成長させてくださる神様を信じて、できることが、まだまだ私たちにはありそうです。
そうやって「スデニとイマダとノビシロ」トリオを信じる教会でありたいと思います。
「ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから」(Ⅰコリント15・58)。

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Emmanuel

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