連載 グレーの中を泳ぐ 第11回 量的な時間と質的な時間

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

髙畠恵子
救世軍神田小隊士官(牧師)。東北大学大学院文学研究科実践宗教学寄附講座修了。一男三女の母。salvoがん哲学カフェ代表。趣味は刺し子

 

死にたかった時も、がんになった時も、イエス様はそこにいた

 

二回目の霊的同伴は初回の一か月後、退院したあとでした。手術は成功し、回復も順調だというのに、私の心は荒んでいました。手術後、抗がん剤治療を始める時に「五年生存率は十五パーセント、五人に一人と言われています。次に転移するとしたら、肝臓か肺です。でもその十五パーセントに入るように頑張りましょう」と言われたのです。あんな大手術をしたのに、それでもこれか、と深く傷つきました。
そのことを同伴で話したら、同伴者から「恵子さんにとって手放せないものは何ですか」と質問されました。私は「時間です」と即答しました。余命を告げられたわけでもないのに、「長くは生きられないのではないか」と思っておびえ、「時間がない」とあせっていらいらしていました。
将来、子どもたちが結婚して孫が生まれた時に遊ばせてあげたい、と保存してあった木のおもちゃも、どうせそこまで生きられないなら家に置いておくだけで腹が立つと思い、全部処分しました。当時三歳の娘に「ママ、おもちゃがない」と言われた時に、自分がしたことにハッとして反省したりもしました。しかし、子どもたちの将来も見届けられず、神様からの召しに対しても中途半端な状態の自分が、いつ時間切れを宣告されるのかと不安でしかたなかったのです。「時は神のもの」と頭ではわかっていても、それが体と心と魂とで一つにならない苦しみ。そんなことを話してその日の同伴を終えましたが、「時間を手放せない」ことが、怒りと不安を招いていることに気づきました。
この同伴から三週間ほど経った頃、娘の同級生の親子がスーパーで仲良く楽しそうに買い物をしている姿を見かけました。私にはそれがとてもまぶしくて、帰り道は泣きながら歩きました。時間が欲しい、まだ何十年もあるという確約が欲しい。そうしたら末娘が成長して一緒に買い物に行ける、楽しい所に行ける、家族ともっともっと過ごせる、神様からの召しももっと果たせる、そう思いました。たまらなく寂しくなるのと同時に、やはり怒りもありました。霊的同伴は本来は同伴以外では連絡を取らないのですが、この時は耐えかねて同伴者にメールしました。
同伴者からは以下の返信が届きました。
「ああ……それは切なかったですね……辛かったですね……。(略)自分には得られなかったもの、あるいは得たいと願っていても叶わないかもしれないもの……それをほかの人が手にしているのを見て、共に喜ぶことは、口で言うほど簡単ではないと思います。それでも恵子さんは、そのような自分の心の動きに気付き、認め、それを見て見ぬふりをするのでなく、またその感情に流されるのでなく、こうして立ち止まってその思いを言葉にされたことは、勇気あることだと思います。(略)
前回のセッションで、手放せないものとは何ですかと伺った時、『時間』とおっしゃっていました。過去、現在、未来と流れていく『クロノス』という量的な時間においては、私たちは皆、制限の中にいます。病の中では、その制限が一層切実に、リアルに迫ってくると思います。けれども、神様は私たちに『カイロス』という時間も与えてくださっています。それは、量で測れる時間ではなく、もっと質的なもの、神が与えてくださる特別な時間、神のご臨在と恵みの中にいる時、と言えるでしょうか。(略)クロノスの制限の中にあるがゆえの私たちの痛みに、カイロスから届く神様の恵みが触れてくださいますように……」
病気や困難な中にある人だけではなく、多くの人々は「時間に勝つ」ことに必死です。時間を握りしめて、どうやって自分の人生の計画、願いを達成していくか、仕事、学校、家庭、すべての場においてクロノスの欠乏を感じながら、葛藤と苦しみを抱えて生きているように思います。もしかしたらその苦しみが、キリストにある自由を見えなくさせているのかもしれません。
私も、命や時間が神のものだと頭ではわかっていたけれど、いざとなると「死にたくない」という思いでいっぱいでした。死ぬにしても、子育てや神の使命を全部やり切って無事に引退できたらのことで四十七歳の今ではないと激しく抵抗し、怒っていたのだと思います。時間がないと思い込み不安とあせりの中にいた時に、ある神父が「あなたの人生の残り時間があと三年だろうが三十年だろうが、神の使命を三年かけてなすのか三十年かけてするのかの違いだけだ」と言いました。その言葉を聞いて「今日も神の使命によく生きた」と言える毎日を生きればいいのだと思いました。

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Emmanuel

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