西南大学名誉教授 河島幸夫
今から九十年前の一九三四年五月末、ドイツのルール工業地帯にある町ヴッパータールのバルメン地区にあるゲマルケ教会に全国の《告白教会》の代表たち百三九人が参集し、全国総会を開きました。そこで全会一致で採択されたのが、神学者カール・バルトらによって起草された「ドイツ福音主義教会の現状に関する神学宣言」、略称「バルメン宣言」です。
当時のドイツでは、一九三三年一月末に政権を掌握したナチス党のアドルフ・ヒトラーに支援された《ドイツ的キリスト者》のグループが、多くの州の教会選挙で多数を占めて指導部の実権を握るようになりました。彼らは受難のイエスに代わる英雄的イエス像、民族主義的ルター像を掲げ、旧約聖書をユダヤ人の書として排斥し、教会からユダヤ系の牧師・信徒の追放を推進していました。こうした動きを深刻な《信仰告白の非常事態》と受けとめた牧師・信徒たちは、M・ニーメラーやH・アスムッセンらを中心に《告白教会》を立ち上げたのです。当時の状況は《ドイツ教会闘争》とよばれます。
「バルメン宣言」は、前文と六つの命題、そして結語からなっています。その第一命題では「イエス・キリストは我々が生と死において信頼し服従すべき神の唯一の御言葉である」とし、「他の現象や真理を神の啓示として承認しなければならないという誤った教えを退ける」と強調しています。それは、当時、ドイツ国民の多くを熱狂させていたナチスによる《国民的決起》やヒトラー崇拝への批判を内包するものでした。
また、第五命題では「国家は法(正義・権利)と平和のために配慮するという任務を持つ」と認めつつ、しかし「国家がその特別の委託をこえて、人間生活の唯一にして全体的な秩序となるべきであるという誤った教えを、我々は退ける」としました。これは、人間の身も心もトータルに支配しようとするナチズムへの拒否姿勢を示すものでした。
こうした「バルメン宣言」を擁した《告白教会》の内部には、この宣言の《キリスト論的集中》ないし《キリストの王権的支配》に忠実な古プロイセン合同告白教会(ルター派+改革派)や各地の改革派(カルヴァン派)の潮流と、国家と教会の役割分担を強調する二王国論のルター派教会(ヴュルテンベルク州、バイエルン州、ハノーヴァー地区)の潮流とが並存していましたが、かろうじて決定的な組織的分裂は免れました。
ただし、教会はナチス独裁政権の内政・外交の多くには異を唱えませんでした。特に国際連盟からの脱退、ラインラント非武装地帯への国防軍の進駐、オーストリア併合、チェコスロバキアのズデーテン割譲などについても同様です。一九三九年九月のナチス・ドイツによるポーランド侵攻に始まる第二次世界大戦に際しても、教会は戦争に反対しませんでした。ただ、第一次世界大戦(一九一四―一八年)の時のように戦争熱に巻き込まれて冷静さを失うという過ちはくり返さなかったのです。また激しさを増すナチス体制による人権侵害に対しては、教会は抗議の声を上げました。
一九三六年五月、《告白教会》は「ヒトラーへの建白書」を提出して、教会への弾圧に抗議し、強制収容所の存在、秘密警察の違法行為、ゲルマン人種の賛美、ヒトラー崇拝、反ユダヤ主義のナチス世界観を批判し、隣人愛というキリスト教の戒めを対置しました。これは、「バルメン宣言」の基本理念を具体的な形で実行に移したものといえるでしょう。さらに、ナチス政権の人権侵害に対する実践的な抵抗としては、《告白教会》の委託でユダヤ人キリスト者千数百人の国外亡命を可能にしたH・グリューバー牧師と女性副牧師K・シュターリッツたちの《非アーリア人救援教会機関》、ヒトラーの秘密《安楽死作戦》に抗して、少数の犠牲者を出しながら、約三千人の心身障がい者の大部分を守ることに成功した福祉事業《内国伝道》(ディアコニー)施設ベーテルのF・v・ボーデルシュヴィンク牧師夫妻と医師・看護スタッフたちを忘れることはできません。
第二次世界大戦末期の一九四三年十月には、古プロイセン合同告白教会の総会がその当時最大州であったプロイセンのブレスラウで開かれ、「第五戒の解釈」を全会一致で採択しました。そこには不治の病人、精神障がい者、異人種〔ユダヤ人〕を《生きるに値しない生命》として抹殺するナチス政権の蛮行を非難し、それを阻むことができなかった「我々キリスト者は共同の罪責を負う」と記されています。また、ヴュルテンベルク州ルター派教会のT・ヴルム監督は、毎週一通の割合でナチス当局に教会弾圧や人権侵害への抗議書簡を送り続け、同年の七月には直接ヒトラーに建白書を発送して、ユダヤ人の虐殺は「人間の尊厳という神から与えられた根源的権利を侵害するものである」と断定しました。
表向きには《積極的キリスト教》を掲げながら、裏では教会の全滅を企んだヒトラーの弾圧政策により、一九四五年五月までのナチス期の《ドイツ教会闘争》では、約二千人の牧師・信徒が逮捕され、百人以上が殉教しました。
ところで、当時のドイツのキリスト教徒の三分の一を占めるカトリックには、プロテスタントの「バルメン宣言」に当たるようなものがあったのでしょうか。それは、一九三七年三月にドイツ全国のカトリック教会で説教壇から発表されたローマ教皇ピウス十一世の回勅「ミット・ブレネンダー・ゾルゲ」(燃える憂慮に満たされて)です。そこではナチズムの思想が根底から批判されていました。その詳しい内容を含めてカトリックとプロテスタント両教会のナチス体制に対する《ドイツ教会闘争》全体の概要については、ハンス・マイアー著、河島幸夫編訳の『ナチス第三帝国へのキリスト教的抵抗』(いのちのことば社、二〇二四年五月発売)をぜひお読みいただければ幸いです。
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