神が創造主ならば、この世界を創ったのも神様だということになりますが、世界より先に神が存在していたということが、非論理的に感じてしまいます。創造主が神なら、それはどうして出来たのですか。神という存在が、最初から存在していたことが信じられません。
この質問は、「神が存在することを、どのように説明したらいいのか」という質問と同じですね。そこで今回は、「なぜ現実の世界が存在するか」という疑問に答えたいと思います。
現実の世界が存在するということを否定する人は、まずいないと思います。私自身が今、考え、答えようとしています。「私の存在自体」が「現実」なのです。あなたも現実です。
なぜ、そういう現実の世界が存在するのでしょうか。いつものように3つ申し上げます。可能性としては、3つしかないのです。
1つ目の可能性は、現実の世界は「自己創造」によってできた、つまり、「セルフ・クリエーション」ですね。自分で自分を創ったということです。
でも、このような言い方自体が、矛盾です。「存在しないもの」が、「何か」を創り出すことはあり得ないのです。ですから、セルフ・クリエーションはあり得ません。
2つ目の可能性は、現実の世界は、「最初から存在するのだ」という言い方です。
この考えに基づけば、現実(物質的な世界)は、最初から在るということになります。ところが、現実の世界には「始まり」があるのです。
例えば、宇宙の始まりを説明する1つの理論として、「ビッグバン理論」というのがあります。これは、「世界はこの時点から始まったという瞬間がありそうだ」ということを、科学的データが示しているということです。それゆえ、現実の世界は「永遠から存在する」とは言えないのです。現実の世界は、ある時点から存在するようになり、それ以降、変化し続けています。
3つ目の可能性は、現実の世界は「永遠に存在するお方によって創られた」というものです。
2番と3番の選択肢は、二者択一ですね。3番目の「永遠の存在によって創造された」ということを受け入れられない人は、「物は永遠から存在する」というところに行くしかないのです。
ここで問うべきは、次のことです。「因果関係の法則」というものがあります。それは、原因と結果を比べると、「結果は原因に似ている」という法則です。つまり、原因と結果の間に「相関関係」が存在するわけです。物質が永遠の存在であるとするなら、なぜ人間という「人格を持った存在」がいるのでしょうか。2番目の選択肢では、なぜ人間という「道徳的、倫理的存在」がいるのかということを、説明できません。
聖書は、「人は神のかたちに創造されている」と教えます。それが、「現実の世界は、人格を持った、また倫理的、道徳的なお方によって創られた」ということを証明しています。
永遠の神の存在を信じるということは、ある方が思っておられるほどに「非論理的」なことではありません。実はこれは、最も「論理的な結論」なのです。
「初めに、神が天と地を創造した」(創世記1:1)
「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。』神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」(創世記1:26〜27)
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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