「キリストのいのちに触れる」ルカ24:1-12 中村吉基

イザヤ書65:17-25;ルカによる福音書24:1-12

イザヤ書65:17-25;ルカによる福音書24:1-12

皆さん、イースターおめでとうございます。イエス・キリストがエルサレムに入城され、その出来事から間も無く、敵対者たちの手に渡され、十字架で殺害されたのが金曜日のことでした。しかし、今日のルカによる福音書の記事によれば、日曜日の朝早く女性たちが主イエスの葬られていた墓を訪ねると、輝く衣を着た2人の人が女性たちに「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」と告げたというのです。今日、私たちはこのよみがえられたイエス・キリストをこの場所にお迎えしながら、主イエスを死からよみがえらせた神の力に共にあずかりたいと願います。

週の初めの日(日曜日)の朝早く、主イエスに従っていた女性たちは、前もって準備していた香料を手にもって、主イエスの亡骸を収めてあった墓に向かいました。女性たちは主が息を引き取られた金曜日の日没、安息日(土曜日・一切の労働を休み神を礼拝する日)に入ってしまったためにその亡骸を清めることができなかったことが気がかりでなりませんでした。この墓というのは洞穴のようなところに大きな岩を転がして、ふたをするような大きな規模のものです。

しかし、その大きな岩は傍らに転がされて、どこを見回しても主イエスの亡骸は見当たらず途方に暮れておりました。主イエスの亡骸の傍らで彼女たちは、主イエスと一緒に過ごしたあの平和な日々を思い起こすというようないとまもありませんでした。そうしている彼女たちのそばに輝く衣を着た2人の人(天からの使い)が現れ、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」と問いかけて、主イエスが亡くなったと思い、行動する彼女たちの思い違いを指摘します。すでに「生きている」主イエスは墓にはおられませんでした。神が復活させられたからです。

さらにこの2人の人は、女性たちの心を主イエスが生前おっしゃっていた言葉に向けさせます。それはかつて主イエスがガリラヤで語られた言葉でした。

「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっていると言われたではないか」

ちなみにこのガリラヤとは農民を中心とする地方のことで、主イエスの活動の大部分はここで行われたと考えられています。大多数を占める農民は、ローマ・ユダヤの少数の権力者の圧政に日々苦しめられていました。社会の中でこの農民たちはつまはじきにされ、人間らしく扱われることなどありませんでした。またその負債のゆえに家族は若い女性から始まり多くが奴隷として売られていきました。女性たちにとってこの現実は恐るべきものであったに違いありません。しかし、農民たちは歯を食いしばって生き抜いていました。主イエスはそのようなところに現れ、神の国の福音を伝えていったのです。

ここでこの2人の人は主イエスが「まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい」と彼女たちに言うのです。何を思い出すのか? この言葉は、マルコによる福音書16章7節の「あの方はあなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」という言葉と同じ意味をなしています。

ここでこの2人の人がこの主イエスが生前語っていた言葉を「思い出しなさい」と言っている言葉は今日の福音を読む上で非常に重要です。彼女たちがこの「思い出しなさい」と言われたことで「はっ」と主イエスの言葉を思い出したときが、彼女たちにとっての変わり目でした。墓へと向けられていた彼女たちの関心は見事にここで転換します。そのお墓に背を向けて、一目散に走ったかもしれません。彼女たちは、帰ってきてこの出来事をまず主イエスの弟子たちに知らせる者となったのです。これは彼女たちが目の当たりにした出来事が、主イエスがかつて語った言葉が、彼女たちの中で生きた言葉として、よみがったのです! 今日の聖書の箇所に出てくる「思い出す」と言う言葉はただ単に主イエスと過ごした日々を、郷愁の中でなつかしく思うのとは違うのです。未来に向かって「成し遂げる」という意味で読むことができるのです。

しかし、女性たちからこの出来事を聞いても、主イエスの復活を信じられなかった弟子たちがそこにはいました。生き生きとした女性たちから比べれば対照的に見えます。

「使徒たちはこの話がたわごとのように思われたので、女性たちを信じなかった」(11節)。

これは当時の男性中心の父権制社会の中で、女性や子どもはまともに取り扱われなかったことを裏付ける言葉かもしれません。しかし、主イエスの復活の事実にふれたペトロをはじめ弟子たちが復活の主イエスを信じる者へと変えられていったのは、ほかならぬこの女性たちが告げ知らせた言葉がいのちを持つ言葉へと変わり、それが一人ひとりのこころに染み渡ったからです。そして女性たちが復活の出来事を知らせることが成し遂げられていったのです。

さて、場面は前後しますが、主イエスが十字架で最後に語られた言葉が、マタイによる福音書27章46節に収録されています。

三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

これは、主イエスのご生涯の中での最後に発せられた神に対しての賛美です。主イエスは、親である神にとってご自分の独り子を痛ましく、辛い出来事である、十字架へと差し出されたみわざを、「あなたは本当に強い御方ですね」と、賛美したのです。

この日本に同じようにしてその悲しく辛い「父の心」を味わったキリスト者がいます。ゴスペルシンガーとして活躍されておられる岩淵まことさんがその方ですが、岩渕さんは長女の亜希子ちゃんが小学校1年生の時に、脳腫瘍が発見され、亜希子ちゃんは1987年10月29日に神のもとに召されていきました。亜希子ちゃんの1年2か月の闘病生活を見守る苦しさの中で、生まれたのが「父の涙」という歌でした。

岩淵さんは創世記に出てくるアブラハムのように、十字架で殺されていく、愛する独り子主イエスを見守る父の苦しさを味わいました。以前のことですが、岩淵さんはこのように語っておられます。

『父の涙』という歌が生まれて、もう20年が過ぎた。娘の亜希子が脳腫瘍で闘病している中で生まれてきた歌だ。僕はクリスチャンなので、娘が苦しんでいる姿の中に、キリストの十字架の姿を見ていた。

ギターを抱えて曲を作り始めた時、「心に迫る父の悲しみ、愛するひとりごを十字架につけた」と、メロディーとことばがスーッと生まれてきた。やがて「十字架からあふれ流れる泉、それは父の涙」というフレーズが生まれてきた時、僕はその場で泣いていた。

僕はきっと、歌を作りながらキリストの傍へ行こうとしていたのだろう。それに応えてくれるかのように「父の涙」ということばが生まれてきた。

ヨハネによる福音書の11章25節には主イエスの言葉

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも決して死ぬことがない」

と記されています。どんなに立派なお墓が建てられてもそこは私たちの永遠の住みかではない、主イエスは墓の中にはおられないのです! 主イエスのよみがえりによって、いのちが死に勝利したのです。私たちの肉体もいつかは死に至りますが、私たちの霊(魂)は永遠に生き続けるのです。そしてこの事実を知った私たちもまた、このいのちの尊さを人に伝えるものとなるように主イエスは招いておられます。私にも経験がありますが、誰かが死んだということをほかの誰かに伝えるというのは一歩も二歩もあとずさりするものです。決してうれしいことではありません。しかし、私たちは今、神によっていのちが与えられて生きている。このことは声を大にして喜んで言っていいことなのではないでしょうか。

私たちも今朝、お甦りになった主イエスに出遇いましょう。そして主イエスと手をつなぎましょう。2000年前の主イエスの弟子であった女性たちも、現代に生きる岩淵まことさんも、そして私たちも死に接するということは決して嬉しいことではありません。しかしそうではなく、私たちはいのちに触れるのです。主イエスのいのちに触れさせていただけるのです。その時私たちは想像もつかない、経験したこともない大きな神の力に包まれるのです。今日はいのちを祝うイースターです。この世界の誰もがもれなく、永遠のいのちをいただける日なのです。

ハレルヤ! 主は甦られました!

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