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自己の観念で神を規定する人がどうして神の啓示を受け取れるのか

神の働きは常に前進し続けており、その目的が変わることはないが、神が働きを行う手段は絶えず変化しており、それはつまり、神に付き従う人々も絶えず変化していることを意味する。神が働きを行えば行うほど、人はより徹底的に神を知るようになる。また、神の働きに続き、それに応じて人の性質も変化する。しかし、神の働きが絶えず変化しているので、聖霊の働きを知らない者や真理を知らない愚かな者は神に逆らう人になる。神の働きは人間の観念と決して一致しない。神の働きはいつも新しく、決して古くないからであり、神は古い働きを決して繰り返さず、むしろこれまでなされたことのない働きをたゆみなく行う。神は自身の働きを繰り返さず、また人は例外なく、神が以前になした働きを基に神の現在の働きを判断するので、神が新しい時代の働きの各段階

聖書には神の御言葉に限らず、人の言葉も記されています

牧師と長老たちはいつも聖書に記述された言葉は全て神の御言葉であり、聖書は神の霊感を受けて書かれたものであると私たちに言います。聖書にもこう書かれています、「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって」(テモテへの第2の手紙3:16)。 これ故に、私たちは聖書に書かれている言葉は全て神の御言葉であるという信念を抱いてきている訳です。しかし、今日、今井姉妹と一緒に聖書の勉強をしていた時、私はこの観念に関して新たな知識を得たのです。私たちが聖句の中から幾つかの節を読んだ時、今井姉妹が聖書には神の御言葉だけでなく、人、ヘビ、サタン、そしてロバの言葉も記されていると言いました。そして、彼女はこの節を見せてくれました。創世記3:1「へびは女に言った、『園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんと

わたしたちの罪は赦された――再臨した主は、わたしたちをまっすぐ天国に引き上げるのか?

災害がひどくなる一方のいま、信者はみな救い主の降臨を待ちわび、睡眠中に空へ上げられて主にお会いし、激しさを増す今日の災害の苦しみから逃れることを切望しています。主イエスが降臨して自分たちを空に上げ、相まみえるのを自信満々に待っているのはなぜでしょう。主イエスへの信仰を通じて罪を赦されたので、主はもう自分を罪人とは見ておらず、自分には必要なものが何でもあり、主の降臨時にまっすぐ天国へ引き上げられると信じています。しかし多くの人は混乱しています。大災害が到来したのに、主がいまだいらっしゃらないのはなぜか? 主の降臨は本当かと、多くの人が疑いだしているのです。本当でなければ、災害に見舞われいつ死ぬかわからないのではないか? 多くの牧師が主は災害のさなかか終わりに来られ、他に説明はつかないと言ってい

勝利者であるための基準とは

勝利者という言葉を聞くと、私たちはヨハネの黙示録に記された預言を思い浮かべます。「なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っていた。また、十四万四千の人々が小羊と共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた」(黙示録14:1)「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである」(黙示録7:14)この聖書で預言された十四万四千という数字は、神様が作ろうと望まれる勝利者を示しています。彼らは大きな患難のさなかに証しを行ない、神様に認められて天の国へ入る資格がある人たちです。勝利者になることは、主を信じる人全員が切望することであり、私たちが探し求める目標でもあります。多くの兄弟姉妹はこのように信じています。「私たちは何年も主に従い、

信仰とは何か、どのように信仰を持つようになるか

信仰とは何でしょうか?主にある多くの兄弟姉妹たちは、神様の御名を認め、根気よく聖書を読み、集会に参加し、祈り、更にはすべてを犠牲にして勤めさえできれば、自分は神様への信仰をもつ信者であると思っています。しかし、これは一面的な解釈です。実際、神様への真の信仰とは、私たちの精神と身体が精錬や逆境の中で大きな苦難に耐えるとき、それでも神様を誤解したり、神様について文句を言ったりせず、その代わりに神様に服従し、たゆまずに神様を信じ、神様に従えることを意味します。聖書の記録から私たちは次のことを知ることができます。ヨブがサタンによって誘惑されたとき、ヨブの家畜は盗賊に強奪され、使用人たちは殺され、子供たちは惨事にみまわれ、彼自身は体中に痛い腫物ができ、ヨブの妻は彼をあざ笑い、神様の御名に背くように言い

なぜわたしはいつも主に祈りますが、主の返事を得られませんか

信仰ステーションの兄弟姉妹の皆さんへ:こんにちは。わたしはこの頃、家で常にささいなことでわけもなく怒り、しかも夫、子供の欠点が多いのだと思っています。すると、わたしは主に祈って、主にわたしの心を落ち着かせ、夫と子供の悪い癖を変えてくださるように求めます。しかしなぜわたしが主の返事を得られなかったのですか。井上 菜々子2018年11月6日井上さんへ:悲しまないでください。そうなるのはおもに、わたしたちが祈りの原則を把握していないからです。実は多くの時、わたしたちは祈る中で言いたい言葉を主に言っただけで、自分がもう主に祈ったと思ってしまいます。ところが、わたしたちは主がわたしたちのこのような祈りが好きかどうかを知りません。それは、わたしたちがある人と接触するのと同じです。わたしたちがこの人と話し

キリストと融和する道を探せ

わたしは人々の間で多くの働きをしてきた。わたしがその間に発した言葉は数多くある。これらの言葉は人間の救済のためで、人間がわたしと融和するようにと発したものである。しかし、わたしと融和する者は、地上ではほんの数名しか得ていない。だから、人間はわたしの言葉を重んじないとわたしは言う。人間はわたしと融和しないのだから。このように、わたしのしている働きは単に人間がわたしを崇めるようにするためだけではなく、もっと重要なことには、人間がわたしと融和するようにである。堕落した人々は、みなサタンの罠に囚われている。彼らは肉に生き、利己的な欲求をもって生きていて、彼らの中には、わたしと融和する者は、ただの一人もいない。わたしと融和すると言う者もいるが、みな漠然とした偶像を拝んでいる。彼らはわたしの名を聖いもの

説教師の悩み-主イエス・キリストの再臨をお迎えする方法とは

私は教会で説教師をしているのですが、宣教するに値することが何もなく、兄弟姉妹たちに有益な啓示をすることができません。彼らの信仰は全般的に弱く気が抜けてしまった状態にあり、集会になると彼らは居眠りをするか、小声でお喋りをするといった始末です。教会で普段からこういう状況を目にしていると、いつもとてもイライラしてしまいます。私は幾度となく主に祈り、何度も兄弟姉妹たちに集中して注目するように注意しているのですが、彼らは主の再臨を受け入れられていないので、信仰を失ってしまっています。私は何を試しても教会を蘇らせることができません。そして、今は終わりの日で、不信者でさえ大災害が近々起こることを知っています。だからこそ、主が再臨されると考えるのは当然のことだと言えます。ならば、どうして私たちは主をお迎えす

人は名声や利益、衣食住、楽しみのために生きていますが、結局はすべてが無駄になってしまいます。どうすれば有意義で価値ある人生を送れるのか分かりません。

人類が社会科学を考案して以来、人の精神は科学と知識に占領されてしまった。それから科学と知識は人類を支配する道具となり、もはや神を礼拝するための充分な余地は人にはなくなり、神を礼拝するための好ましい条件もなくなった。人の心の中で占める神の位置はどこまでも低められた。心の中に神が無いまま、人間の内面世界は暗く、希望も無く、空虚である。そのため、人類の心と精神を満たすために多くの社会科学者や歴史家、政治家が登場し、社会科学の理論や人類進化の理論、神が人を創造したという真理に矛盾するその他の理論を発表した。こうして、神が万物を造ったという真理を信じる人はますます少なくなり、進化論を信じる人の数はさらに増加した。神の働きの記録と旧約聖書の時代の神の言葉を神話や伝説として取り扱う人々はますます多くなって

携挙の本当の意味

チェン・リー集会が始まり、ユー牧師は兄弟姉妹を率先して「それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」(テサロニケ人への第一の手紙 4:17) と聖書を読んでいました。そして、ユー牧師はこう言いました。「今は終わりの日の末期、主が再臨される重大な時期です。主は今すぐにでも私たちを迎え入れるために来てくださります。そして、私たちは雲の中へと携挙されて主に出会うのです。私たちは地上で起こる災害を免れ、死を経験することなく天国に入れます。兄弟姉妹の皆さん、私たちは終わりの日に生まれて本当に恵まれているのです!」牧師のこの言葉を聞いて、そこにいた全員が興奮し、この世の心配事から抜け出して、主と永遠に一緒にいられるようにな

神の御心に叶う奉仕は4つの重要な要素を理解しなければなりません

主イエス様はこう仰りました:「イエスは言われた、『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。」(マタイによる福音書 22:37-38) これらの御言葉は主イエス様が私たちに守るようにと求められる戒めであり、それ以上に主に仕える人それぞれに対し要求されていることでもあります。主は私たちが主を愛する心を持つこと、そして主の親友になる最善の努力をすることを求めておられます。ペテロを例に挙げてみましょう。彼は自らの将来を考慮したり、そのための計画を立てることなく、主に従い、そして主からの任務を担うために世俗的なもの全てを捨てました。彼は主と心を1つにし、全てにおいて主の御心を満たすよう求めました。主イエス様は死から復活された後、

神様の御声をどのように聞き分けるのか

「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう」(ヨハネによる福音書 16:12-13)「見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」(ヨハネの黙示録 5:5)受肉した神は神の本質を有し、受肉した神は神による表現を有する。神は人間の姿になるので、なすべき働きを打ち出し、神は人間の姿になるので、自分が何であるかを表して、人に真理をもたらし、人にいのちを与え、人に進むべき道を示すことができる。神の本質を含んでいない肉体

宗教的な奉仕は一掃されなければならない

全宇宙における神の働きが始まって以来、神は多くの人々を神に仕えるように運命づけてきた。そこにはあらゆる社会的地位の人々が含まれている。神の目的は、神の心を満たすことと、神の地上での働きが、必ずとどこおりなく成就するようにすることである。これが神に仕える人々を神が選ぶ目的である。神に仕える人は誰もがこの神の旨を理解しなければならない。この神の働きを通して人々は、神の知恵、神の全能性、また神の地上における働きの原則をよりよく見て取ることができる。神が実際に働きを行なうために地上に来て人々と接触するのは、人々が神の業をより明確に知ることができるようにである。今日、あなたがたのこの集団は幸運にも実践の神に仕えている。これはあなたがたにとって計り知れない祝福である。実のところ、これは神が人を引き上げて

神との関係が正常かどうかを判断する三つの基準

神を信じるすべての人は、自分が神と正常な関係を築いて、神に認められ、神に良しとされることを望んでいます。しかし、人が神を信じると、神に良しとされることができるというのではありません。パリサイ人のことを例にあげましょう。パリサイ人は神を信じながら、神に逆らうようなことをしていました。彼らは神と敵対関係にあり、神は彼らが神を信じる人だと認めません。この事実から分かるように、神と正常な関係を結ぶことは非常に重要です! では、どのようにわたしたちと神の関係が正常かどうかを判断すべきですか。これはきっと、神を渇望するすべてのクリスチャンがしきりに知りたがることです。わたしたちが自分は神と正常な関係を持つかどうかを知りたいなら、自分は神の前で心を静め、真剣に神の言葉を読むかどうか、真に神と交わるかどうか

あなたがイエスの霊のからだを見る時は、神が天と地を新しくした時である

あなたはイエスに会いたいと思うか。イエスと共に生きたいと思うか。イエスの語る言葉を聞きたいか。もしそうであれば、イエスの再臨をどのように歓迎するのか。あなたは完全に備えができているか。どのようにしてイエスの再臨を歓迎するのか。イエスに付き従う兄弟姉妹は皆イエスをよく歓迎したいだろう。しかしあなたは考えてみたことがあるだろうか――イエスが再び来る時、あなたにイエスが本当に分かるのか。あなたがたはイエスの語る全てを本当に理解するだろうか。イエスの働きの全てを本当に、無条件に受け入れるだろうか。聖書を読んだことのある者は皆、イエスの再臨について知っており、聖書を読んだことのある者は皆、一心にイエスの再臨を待ち望む。あなたがたは皆、その瞬間の訪れにひたすら執着しており、その誠意は賞賛すべきものであり

仕事が忙しくて集会の時間がない時、どうすればよいでしょうか

寄稿家:シーユアン(中国)信仰ステーションの兄弟姉妹皆さんこんにちは!自分の家族に良い生活をさせてあげたいので、もっとお金を稼ごうと必死に働き、殆どの時間を仕事に費やしています。最近、幸運にも神の御国の福音を受け入れることができ、一生懸命に真理を追い求めたいと思っています。しかし、仕事がとても多忙で、集会に参加する時間も、神の御言葉を読む時間もないので、途方に暮れて惨めな思いをしています。どうすれば良いのでしょうか?ヂェンシンヂェンシンさんへ、こんにちは!あなたが述べられた困難は私も以前抱えていました。しかし、その後、神に祈り、神の御言葉を読み、兄弟姉妹の助けを受けることによって、神の御旨を理解するようになりました。私たちの運命は神の御手にかかっているから、私たちの思い通りにならないことをは

キリストの再来についての七つの預言

今はもう世の終わりの末期です。ヨハネの黙示録第22章12節では、主イエスは『見よ、わたしはすぐに来る』と言われました。主はわたしたちに、彼がまた来ると約束されましたが、主はすでに来られましたか。わたしたちはどうすれば主が再来したかどうかを知ることができますか。真心から主を信じて、主の到来を待ち望む兄弟姉妹たちはきっとこのような疑問を抱いているでしょう。マタイによる福音書第24章12節でこう書かれています。「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」。今、各宗派の信徒たちはおしなべて世をむさぼります。ある者は商売をし、ある者は工場を開設して、金を稼ぐのに忙しく、主のために働く気持ちがなくなります。牧師、長老たちも互いに腹を探り合って暗闘し、互いにねたみ、争います。中には、徒党を組み、いけにえを

聖書を信じることは神を信じることと同じでしょうか

寄稿家:ヂィフイ(マレーシア)私はクリスチャンの家庭に生まれました。私の家族は貧乏だったので、父はよく出稼ぎに行って、帰ってくることは滅多にありませんでした。そして、母は地元で働いていましたが、毎日朝から晩まで仕事が忙しく私たちの世話をする時間はほとんどありませんでした。なので、私は幼かった頃から家事だけでなく、弟と妹の世話をする必要もありました。私は自分と同年齢の子たちが両親に面倒を見てもらっている様子を見ると、いつも心細くなりました。当時、私は聖書に関してはあまり知りませんでしたが、日曜学校に行くのはとても好きで、人間をとても愛してくださる天の御父がいることを学びました。これ故に、私は幸せな時も、そうでない時も、天の御父に祈りを捧げることができました。次第に、天の御父は私が親密に語りかけ

主イエスの再臨の預言

ヨハネの黙示録1:7見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。マタイによる福音書24:29−30しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。ユダの手紙1:14見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた。使徒行伝1:11ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、

神の働きは聖書の範囲を超えて存在するのでしょうか?

信仰ステーションの兄弟姉妹皆さんこんにちわ。つい最近、ある人が私に終わりの日の全能神の働きの証言をしてくれた上に、全能神の御言葉を記した『言葉は肉において現れる』という書籍もくれました。この本を読んだ後、私は全能神の御言葉には権威と御力があると感じたと同時に、『言葉は肉において現れる』に書かれた御言葉は聖霊によるものであると確信しています。しかし、私は、全能神の御言葉と働きが聖書の範囲を超えて存在している理由が全く理解できないのです。ジェンシンよりジェンシン姉妹こんにちは。この疑問を明らかにするには、先ず初めに聖書がどのように制作され、構成されているかを理解しておく必要があります。聖書は旧約聖書と新約聖書を含みます。旧約聖書には神が天地を創造した働き、および律法の時代になされた働きが記録され

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