啓示5-7章-子羊が第一から第六の封印を開く(8)第四の封印を開くと青ざめた馬が登場する

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

イエスが第四の封印を開くと、第四の生き物が「来なさい!」と言いました。すると、青ざめた馬が登場しました。その馬の騎手には、"死”という名があり、ハデスが彼の後に従っていました。

  そして、地の四分の一に対する権威が彼らに与えられて、「長い剣と食糧不足と死の災厄」と「地の野獣」によってそれを殺すことになります。(啓示6:7,8)今回は、ここを解釈してみます。 

  

四頭目の青ざめた馬に誰が乗っているのですか象徴的な死ですか?それとも個人ですか?

 

(2)青ざめた馬の騎手は死という象徴的な事物かそれとも二人目の北の王か国際組織か 

 この馬の騎手は象徴的な事物でしょうか。それとも、個人か組織を表わしているのでしょうか。啓示の書は、「しるし」で説明されています。(啓示1:1)ですから、四頭の馬の乗り手が個人である必要もないかもしれません。つまり、「しるし」なのですから、象徴的な事物が馬の乗り手になってもおかしくないのかもしれません。 

 四頭目の馬の騎手には、「死」という名があります。ですから、死そのものがその馬の乗り手であると解釈してもおかしくはないかもしれません。馬が文字通りのものでないのですから、その乗り手も文字通りの個人である必要はありません。 

 しかしながら、四頭目の馬の乗り手が、「死」という象徴的な事物であれば、地の四分一に対して、「長い剣と食糧不足と死の災厄」によって殺すと、なぜここでまた「死の災厄」が出てくるのだろうかと少し疑問に思います。 

 しかし、誰か個人あるいは組織が青ざめた馬の乗り手である可能性はあります。「死」そのものではなく、「死」という名、もしくはあだ名がつけられた為政者あるいは国際組織かもしれません。 

 為政者もしくは国際機関がある国に対して戦争をしかけて、経済制裁によって食糧不足を引き起こし、病原菌などをまき散らして死の災厄を引き起こし、さらに、軍事攻撃を加えると言うのは可能だと思います。 

(2)青ざめた馬とは何を意味するか 

  青ざめた馬とは何を意味するのでしょうか。エレミヤ30章によると、イスラエルの人々の顔が青ざめていたことは、人々がおののいており、「怖れがあり,平安はない」ことを表わしていました。(エレミヤ30:4-6)少なくとも青ざめた馬とその乗り手は、怖れとおののきを感じており、その結果、全地の人々に死をもたらすのかもしれません。 

  この解釈は、青ざめた馬の乗り手が個人、もしくは組織、少なくとも人間であって始めて成り立つ解釈です。"死”という象徴的な事物が怖れとおののきを感じることはできません。 

 馬と、当然、「しるし」であり、実際にイエス・キリストや北の王が文字通りの馬に乗っているわけではなく、馬に乗って進むように物事をスピーディーに行なっていく、もしくは、その乗り手に関連した状況が馬が進むがごとく、早く進展していくことを示しているはずです。ですから、その馬は、乗り手と、一体と考えて良いです。 

一頭目の白い馬に乗るのがイエス・キリストならば四頭目の馬に乗るのが個人と考えても不自然ではない 

 こうして考えると、"死”という象徴的な事物が怖れとおののきを感じることはできないのですから、青ざめた馬の乗り手も、やはり、人間だと判断する方が妥当かもしれません。 

青ざめた馬は恐れとおののきを感じていることを示し死そのものは感情がないので四頭目の馬の乗り手は個人かもしれない 

 

(3)死の災厄とは何か 

 「死の災厄」とは何でしょうか。エレミヤ43章には、バビロンのネブカドレザルがエジプトの地を打ち、捕らわれにしたり、剣にかけたり、「死の災厄」をもたらすことが述べられています。(エレミヤ43:10,11)ですから、「死の災厄」とは、軍隊が他国を攻撃する場合に、行なうことで、剣で殺したり、捕らわれにしたりする以外の方法で死をもたらすことを意味しています。 

  多くの場合、軍事強国が他国を攻める場合、ある都市、ある国家を包囲して、経済封鎖を行ない、食糧の輸入を途絶させ、飢きんによって死をもたらす場合があります。 

 また、飢きんを経験すると、栄養不足のために、身体が弱まり、疫病に感染しやすくなり、死がもたらされます。あるいは細菌兵器などが使われるならば、やはり、病気で命を落とすという事があるでしょう。「死の災厄」とは、こうしたさまざまな仕方によってもたらされる死を意味しているでしょう。 

 しかし、地の野獣が人を襲うように攻撃する国家もしくは軍隊がどのようにしてとりはからうのでしょうか。それは、不可能ではないかと思います。 

 しかし、「地の野獣」を啓示の書の象徴的な意味で、たとえば、「地」が「崇拝する」「野獣」という意味で、地の野獣ということができるのかもしれません。(啓示13:5)あるいは、啓示13章の地から出て来る「子羊のような二本の角を持つ野獣」であるとみなして、その野獣が人々に死をもたらすと解釈するならば攻撃国が、地の野獣で影響を行使することが可能になります。(啓示13:11) 

(4)青ざめた馬の乗り手が最初の北の王の後継者である可能性 

  ダニエル書は、北の王が移り変わることを予告しています。ダニエル書は、最初の北の王が南に対する二度目の攻撃に失敗した後、「彼から出る腕があって立ち上がる。」と予告しています。(ダニエル11:31)「腕」とは、ある者の親族か支持者などを意味します。(ダニエル11:6) 

最初の北の王の関係者から次の北の王が登場する

 ですから、最初の北の王の親族か支持者の中から、次に、支配権を握る者が登場します。その支配者が青ざめた馬の乗り手なのかもしれません。 

  それで、「青ざめた馬」は、後継者の北の王が大いなるバビロンを初めとした地の四分の一にさまざまな仕方で死をもたらしたり災いをもたらしたりする状況を表わしているのかもしれません。 北の王がもたらす致命的な結果は効果的なので、その軍事司令官が"死”というあだ名がつくのかもしれません。ダニエル書は、北の王が「最強の防備の施されたとりでに対しても効果的に行動する」ことを予告しています。(ダニエル11:39) 

 ですから、最初の火のような色の馬に乗る騎手が最初の北の王であり、一方青ざめた馬に乗る騎手は、その北の王にとって代わる二代目の北の王を表わしているという解釈も可能だと思います。 

青ざめた馬の騎手は死というあだ名のついた二代目の北の王だろうか

 

(5)青ざめた馬は荒廃をもたらす嫌悪すべきものという国際組織だろうか

  この青ざめた馬の乗り手が「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」、北の王の設立した国際組織を表わしているという解釈もありえるように思います。北の王が乗り手であっても、その国際組織が乗り手であっても、とても恐ろしい状況であると言えます。 

(6)四頭目の馬に従うハデスは復活の希望を示唆 

 この「ハデス」とは何でしょうか。(啓示6:8)ハデスとはエホバの証人の洞察の本によると、「見えない場所」という意味であるそうです。そして、ハデスはギリシャ語ですが、それに対応するヘブライ語は、シェオールです。 

 ハデスは単一の墓や墳墓,あるいは単一の記念の墓ではなく,死者や埋葬された人を見ることのできない,人類共通の墓を指しています。青ざめた馬にハデスがすぐ後に従っていたというのは、青ざめた馬が乗り進む結果、大勢の死者が生じるということを示しています。

  

 

青ざめた馬に従っていたハデスは人類共通の象徴的な墓を意味する 

 さらに、この馬の乗り手についてくるのがゲヘナではなく、ハデスであるということは、四頭目の馬とその乗り手の犠牲者になった人々に将来の復活の希望があることを示しています。(マタイ5:22)啓示20章13節には、「死とハデスもその中の死者を出(す)」ことが述べられています。 

 青ざめた馬の犠牲者になるのは、地の「四分の一」です。(啓示6:8)この「四分の一」が象徴的な意味であるとしたら、「イスラエルの四分の一」という表現があります。そして、「イスラエルの四分の一」には、「廉直な者」も含まれています。(民数記23:10) 

 ですから、その青ざめた馬の犠牲者になる地の「四分の一」の中には、「イスラエルの四分の一」も含まれていると考えられ、つまり、エホバの目に「廉直な者」も含まれていることになります。ですから、青ざめた馬の犠牲者になる人々が、復活を受けるというのは妥当だと言えます。 

 一方、聖書は、北の王と南の王と共に戦闘に加わる者たちが、復活のない死を被ることを示しています。(啓示13:8;14:9-11)しかし、その犠牲者になる人々には、復活の希望があります。ですから、わたしたちは、戦闘に積極的に加わって人殺しをするのではなく、北の王と南の王の犠牲者になった方がより勝っています。

 

 青ざめた馬の犠牲になった人たちはハデスに入る―つまり復活の希望がある 北の王や南の王と共に戦わない人たちは、命が脅かされるでしょう。実際、過去に良心的な兵役拒否をしてそうされた人がいるように、処刑されて命を失う人たちもいるでしょう。また、軍事攻撃を受けて命を失う人たちもいます。 

 しかし、たとえ死んでも復活の希望があるのですから、わたしたちは復活の希望に依り頼んで、エホバ神の律法に違犯しないようにしましょう。エホバの是認を失っていないのですから、復活があるからです。

 

エホバ神や霊者の存在する天・・・・ 

または楽園での復活の希望がある 

 ですから、最初の火のような色の馬に乗る騎手が最初の北の王であり、一方青ざめた馬に乗る騎手は、その北の王にとって代わる二代目の北の王を表わしているという解釈が妥当でないかと思います。もしくは、青ざめた馬は、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」であるとする解釈も可能だと思います。 

 これは、エホバの証人の解釈とは違います。わたしは最初はエホバの証人の解釈を受け入れていたので、その解釈がいごこちがいいのですが、新しく、解釈を見直した結果、このようになりました。この新しい解釈が正しいのかこれからも検証を続けていきます。 

 青ざめた馬の乗り手が将来全地を乗り進むことを考えると、その馬から逃れるためには、山に逃れて農業をするという選択を考慮していくのが、賢明であると言えます。(マタイ24:15,16)  

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