ヨブ36章・神は苦難の中で人に悪から立ち返るようにと戒められる
正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。
神は、人が苦難を経験することを許され、その苦難を利用して人々がご自分の助言に耳を傾けるようにされることがあります。そのことについてエリフが語りました。ヨブと三人の友の間の論争が終わったのを見定めて後、エリフは神についての知識を言い表しました。(ヨブ33:3;36:3) エリフは、神が義にかなった者に注目されて、彼らが悩みに捕えられるなら、その時、神は彼らの違反について告げられると言いました。神は彼らに有害なことから立ち返るべきであると言われます。(ヨブ36:7,9,10) その時、その違反者はその悩みのゆえに、神の戒めに耳を傾けやすくなっています。(ヨブ36:10)もし、彼らがその戒めに聞き従うなら、幸いな結果になります。反対に、聴き従わないならば,飛び道具によって消え去り,知識のないまま死ぬという結果になります。(ヨブ36:11,12) このエリフの言葉を例証する出来事が起こっているでしょうか。 苦難によって神に戒められた人で思い出されるのはヨナです。ヨナはアッシリアに裁きの音信を伝えるようにという任務を受けました。けれども、ヨナは船に乗ってその任務から逃げていきました。(ヨナ1:1-3) それで、エホバは海にあらしを起こされました。ヨナが船員たちに、あらしが自分のせいで起きていることを話して、自分を海に投げ込むようにと言ったので、船員たちはそうしました。(ヨナ1:4,10,12,15)神は大きな魚に命じて、ヨナを飲み込ませました。(ヨナ1:17) ヨナは、魚の腹の中で神に祈って、自分の誓約を神に果たすと神に申し上げました。魚はヨナを陸地に吐き出しました。(ヨナ2:1,9,10)その後、ヨナはアッシリアで裁きの音信をふれ告げました。(ヨナ3:3)ですから、神はヨナに苦難の中で悔い改める機会を与えました。ヨナは自分に与えられた任務を拒まないように教訓を学びました。
Jonah and the Whale public domain (jonah1)ヨナは苦難の中で自分に与えられた任務を拒まないように教訓を学びました それから、イスラエル人が偶像崇拝のために苦難を経験したことがありました。イスラエル人は、長い期間偶像崇拝をしていました。それで、エホバ神は預言者たちを通して、イスラエル人がバビロンによって攻撃されることを予告されました。 しかし、エルサレムの滅亡の前に語られた預言者の言葉に耳を傾けなかったイスラエル人は、バビロン人の使った矢などの飛び道具で命を失いました。 エルサレムが攻撃される前にバビロンに連れていかれていたイスラエル人は、そこで預言者エゼキエルを通して偶像崇拝や流血に関して厳しい叱責を受けました。(エゼキエル24:9,10)そして、預言者エゼキエルは、ユダが糞像を崇拝した故に、バビロンによって攻撃されることを予告しました。(エゼキエル23:22,23,30)Ezekiel Prophesying (ezekiel)イスラエル人は預言者エゼキエルの偶像崇拝を戒める叱責から学びました その預言は成就し、エルサレムはバビロンのネブカドネザル王によって攻撃され、生き残ったイスラエル人も、バビロンに捕らわれとなって連れていかれました。しかし、預言者の言葉に謙遜に耳を傾けたユダヤ人には、神によって故国に戻る機会が開かれました。 それで、エホバはバビロンの攻撃と捕らわれと言う苦難の中でユダヤ人に偶像崇拝と流血などの有害なことから立ち返るべきであると言われました。戒められたユダヤ人は、益を受けました。 苦難にあうと人はそれまでに語られていた神のみ言葉を思い巡らすことがあります。それは良いことです。 もし、神の言葉を無視して生活し続けるならば、そのまま悪いことをしながら生活を送り、そのまま死んでしまうかもしれません。しかし、その人は復活させられた時に、生前の生き方をいつまでも、後悔するのではないでしょうか。 エホバ神は、人々が苦難の時に、み言葉を語られ悔い改めを促されます。私たちは苦難に直面した時は、エホバに助けを呼び求めましょう。また、自分の振る舞いに悪い部分があったなら、改めましょう。エホバに立ち返るならば、エホバの是認を得る結果になります。エホバが助けてくださる時に私たちは保護されエホバ神の祝福を受けます。