今日、他国が突然軍事攻撃をしてくるのではないかという脅威を感じている国家も存在します。そのため、別の大国と軍事同盟を結ぶことによって、その脅威に対処しようとする政治家もいるでしょう。
しかし、昔の国家間の抗争を記した聖書は、他国との軍事同盟に頼ることは効を奏さず失望させる場合があることを示しています。それどころか、その国家に対して害をもたらすことがあります。
イザヤ30・31章には、昔のユダ王国がエジプトに希望を置いたことが全く期待外れになったことが書かれています。
イザヤ30章には、「エジプトに下ってゆこうと出発し、わたしの口に問い尋ねることをしなかった者たちは災いだ! それはファラオのとりでを避けどころとし、エジプトの陰を避難所とするためなのである。・・・その民は何の助けにもならず、何の益をももたらさず、かえって恥の理由、またそしりのもととなる。」と述べられています。(イザヤ30:3,4,5,7)
ユダはアッシリアからの避難所とするために、エジプトのファラオと軍事同盟を結ぼうとしました。そして、イザヤ30章には、ユダがエジプトと同盟を結ぶために、資産をろばやらくだに載せてエジプトまで運んだことが述べられています。(イザヤ30:6)
The Sphinx and the Pyramid of Chephren behind it (Identifiable because retains the outer limestone casing at its topmost portion) by Jorge Lascar (egypt3)
ユダがエジプトに頼ったことは神の不興を招きました"CaravanApproaching a City in the Vast Desert of Sahara", from: Stanleyand the White Heroes in Africa, by H. B. Scammel, 1890(camel3)ユダはらくだとろばに資産を積んでエジプトのファラオと軍事同盟を組もうとしました
このことは、現代でもある国家が他国と軍事同盟を結ぶために多額の資金を費やす場合があることを思い起こさせます。昔も今も国家がすることは同じなのです。しかし、ユダがエジプトに希望をおいて費やした資産は全く何の益ももたらしませんでした。
ユダがエジプトに頼ったのはどうしてでしょうか。イザヤ31章にこのように書かれています。「援助を求めてエジプトに下る者、単なる馬に頼る者、それが多いからという理由で戦車に、それが非常に力強いからという理由で乗用馬に信頼を置き、イスラエルの聖なる方を仰ぎ見ることも、エホバご自身を尋ね求めることもしなかった者たちは災いだ。」(イザヤ31:1)
Image from page 260 of "The New York coach-maker's magazine" (1858)by Internet Archive Book Images (egyptsoldier1)ユダはエジプトの馬と兵車が数多かったのでエジプトに頼りました今日の諸国家が軍事大国の軍事力に頼るのと同じです
昔、ユダがエジプトに頼ったのは、エジプトが数多い馬や戦車を持っていたからです。そして、ユダは神との契約関係があったにもかかわらず、自分たちの神エホバに信頼を置きませんでした。 ユダがエジプトに頼ったのは、今日諸国家が軍事力の強い世界強国に頼るのに似ています。ところが、昔ユダがエジプトの軍事力に頼ったのは災いになりました。なぜそのことは災いになったのでしょうか。
RoyalAir Force Typhoon Aircraft from 6 Squadron by Defence Images(usarmament)地の王たちは南の王の軍事力に頼りたいと願うかもしれません
イザヤ31章は、このように説明しています。「エジプト人といえども、地の人であって、神ではない。彼らの馬は肉であって、霊ではない。そして、エホバご自身がみ手を伸ばされるので、助けを与えている者も必ずつまずき、助けを受けている者も必ず倒れ、彼らはみな同時に終わりを迎える。」と述べられています。(イザヤ31:3)
たくさんの馬や兵車を持ったエジプト人も神ではなく単なる人間に過ぎません。人間は失望をもたらすことがあるのです。そして、彼らの馬は、一日で幾十万もの兵士を打ち倒すことのできる霊者ではありません。(列王第二19:35)
しかし、今日の世界強国の武器は、単なる馬ではなく、軍事衛星や核弾道を備えたミサイルや戦闘機や戦車だと考えるかもしれません。確かに、現代の世界強国の武器は、昔の世界強国の武具よりも強力で致死的になっています。しかし、それらもやはり操作しているのは単なる肉の人間です。(イザヤ31:3)全能の神ではないのです。
さらに、エホバ神は、ご自分と契約関係にあったユダがご自分ではなくエジプトに頼ったことを不快に思われました。そのため、エジプトがユダに助けを与えようとしてもうまくいかないように、また、ユダがエジプトに頼ったために倒れるように取り計らわれると述べられています。(イザヤ31:3)
エホバはユダが頼ったエジプトがアッシリアの捕らわれとなることを予告されました。イザヤ20章によると、エホバはイザヤを通してこのように宣言されました。 「アッシリアの王はエジプトの捕らわれ人の一団とエチオピアの流刑に処せられた者たちを,少年も老人も裸にし,はだしにし,尻をむきだしにし,エジプトの裸のまま連れて行く。」(イザヤ20:4)
それで、ユダが頼ったので助けを与えようとしていたエジプトやエチオピアは、つまずいて倒れ、あえなくアッシリアの捕らわれとなりました。彼らは裸にされ、全く無力にされました。そのため、エジプトはユダを助けることはできませんでした。
それで、ユダの人々が次のように言うことになると預言されました。「わたしたちがアッシリアの王のゆえに救い出されるため,援助を求めて逃げて来たわたしたちの希望のよりどころはあの有様だ!そうであれば,わたしたちはどうして逃げられるだろうか」。(イザヤ20:5,6)
ユダは、希望を置いていたエジプトに落胆させられました。それでユダもアッシリアからの攻撃を受けることになりました。
それで、アッシリアのサルゴン2世の子セナケリブは,ヒゼキヤの時代にユダ王国を攻撃しました。(列王第二18:13;イザヤ36:1)その時、多くのユダの諸都市はアッシリアの前に倒れ、エジプトは何もユダに助けを差し伸べることはできませんでした。 アッシリアの王セナケリブの高官ラブシャケはエルサレムの人々に,助けを求めてエジプトに頼るのは「砕かれた葦」に頼るようなものだ,と告げました。(列王第二18:19‐21,24)
Assyrianrelief, Four Officials of the Court of Sennacherib, c. 700 BCE,Honolulu Academy of Arts (sennadherib6)セナケリブの高官たち―セナケリブがユダに攻めてきた時エジプトはアッシリアの捕らわれとなつておりユダを助けることはできませんでした
それで、軍事強国に頼っても、その軍事強国は必ず勝利するとは限りません。敗北することもあります。助けにならないことがあります。
しかし、時が経ってアッシリアが倒れたので、エジプトは少し力を回復しました。その時、エジプトはユダを助けるどころか、かえってユダを害しました。
ユダのヨシヤ王は、エジプトのネコに殺されました。(列王第二23:29)そして、ネコはユダに巨額のお金を要求しました。そして、ヨシヤの子で後継者だったエホアハズをユダの王座から退かせ,彼をとりこにしてエジプトへ連行し、代わりにその兄弟エリヤキムを立てました。(列王第二23:31‐35。エゼキエル19:1‐4)
ユダが一番望んでいなかった内政干渉が行われたのです。ユダの支配権はエジプトによって損なわれました。それで、ユダがエジプトに救いを求めてお金を払ったことは、後になって何の助けにもなりませんでした。
さらに、このイザヤ30・31章では強調されていませんが、ユダは実際、エジプトだけでなくアッシリアにも頼り、両者の間で揺れ動きました。(エレミヤ2:18。エレミヤ16:26,28)しかし、どちらに頼ったこともユダにとって予想外の落胆させる結果になりました。
アッシリアに頼ってお金を払ったこともありましたが、それにもかかわらずアッシリアはユダを攻めてきました。(歴代第二28:21;32:1)
それで、今日でも同様のことが起こります。例えば、日本は第二次世界大戦中に、ドイツとイタリアとの軍事同盟に頼りました。しかし、ドイツやイタリアは自分たちの戦闘で手いっぱいだったので、日本が戦争する時何の手助けも与えることができませんでした。それで、軍事同盟は今日でも期待外れに終わる場合があります。
このことは、将来も同じでしょう。聖書は終わりの時に、南の王が世界に支配権を振るうことを予告しています。しかし、そのうちに北の王が登場して、その支配権は最終的に北の王に移ることを予告しています。諸国家はどちらかの国家に頼りがちな傾向になるでしょう。
聖書は北の王と南の王が三度の大きな紛争を起こして、勝ったり負けたりすることを予告しています。ですから、どちらか敗北する方に頼っていた場合、落胆させられる結果になります。
ですから、それらの諸国家に頼っても何の益にもならないということが起こり得ます。南の王も北の王も頼ってきた国家に対して横暴な支配力を及ぼすでしょう。ですから、かえって自国に対してマイナスの結果になるでしょう。
聖書は、「あなた方の力強さは、ただかき乱されないでいることと信頼していることにある。」と述べています。(イザヤ30:15) それで、望ましいのは、他の軍事強国に頼ろうとしないことだと思います。頼っても無駄だったり、マイナスの結果になるからです。それで、今日一番賢明な道は、北の王にも南の王にも頼らず中立の道をとることだと思います。
ですから、他国の軍事力ではなく、私たちが賢明に歩むのを助ける聖書の預言や原則に頼りましょう。そのことについてはまた次回に説明したいと思います。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
Who We AreWhat We EelieveWhat We Do
2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.