啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(29)煙で太陽と空気が暗くなる

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

 

 第五のみ使いがラッパを吹くと、天から地に落ちた星に底知れぬ深みの坑のかぎが与えられ、彼が底知れぬ深みの坑を開けると、その坑から大きな炉の煙のような煙が立ち上り、その煙によって太陽と空気が暗くなりました。(啓示9:1,2)そして、その坑からいなごが出てきました。(啓示9:3) 

 今回はここの部分のとりわけ太陽と空気が暗くなるという部分の解釈にトライしてみます。 

(1)底知れぬ深みのかぎが与えられた天から地に落ちた大きな星とは? 

 第五のみ使いのラッパの後、ヨハネは天から地に落ちた星を見ました。(啓示9:1)すでに、第三のラッパの後に、ともしびのように燃える大きな星が天から落ちていました。(啓示8:10)ですから、ヨハネは第三のラッパの後に天から落ちた星を見たのでしょう。この星に「底知れぬ深みの坑のかぎ」が与えられました。(啓示9:1) 

天から落ちる大きな星とは二度目の南との戦闘で敗北する北の王と彼に率いられるイスラム教の会衆

 

天から落ちた星に底知れぬ深みの坑のかぎが与えられる

 

 

 啓示の書の中でひとつの星は、会衆のひとりの成員ではなく、複数の「七つの会衆の使いたち」を表わしています。(啓示1:20)ですから、わたしは、現時点で、この天から地に落ちた星とは、北の王に率いられたイスラム教の会衆の成員たちを表わしているのではないかと考えています。 

 その星は、底知れぬ深みのかぎを開けて、以前存在していた機構が再び存在するようにします。それで、その星の中心人物は、いなご、すなわち、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」を設立する北の王を意味しているのではないかと思います。(ダニエル11:31。啓示9:3) 

CSIRO

北の王は底知れぬ深みの坑のかぎを開けていなごの軍勢すなわち荒廃をもたらす嫌悪すべきものが登場するようにする

 

 底知れぬ深みの坑から出て来る「いなご」とは何でしょうか。以前の記事で検討しましたが、「底知れぬ深み」の坑から出て来るいなごとは、「緋色の野獣」の軍隊の成員を表わしているのではないでしょうか。(啓示17:8)「底知れぬ深み」から出て来る緋色の野獣とは、北の王の仲間たちが設立する「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」です。(ダニエル11:31) 

 ですから、天から地に落ちた大きな星は、そもそも背教しており、苦よもぎでしたが、自らの倒壊に直面して、イスラム教に対しては失望し、自らに敗戦をもたらしたローマカトリック教会とギリシャ正教会のキリスト教徒に対して敵意と憎しみをかき立てることになるのではないでしょうか。 

 つまり、その宗教上の教えの川の水が苦くなるのです。その憎しみの感情は、「底知れぬ深みの坑」からいなごの軍勢、すなわち、緋色の野獣が出て来る事に貢献することになるのでしょう。 

 北の王は、まずローマカトリック教会とギリシャ正教会に敵意を向けます。それで、北の王が「野獣」の「像」を設立する目的は、当初は、背教したキリスト教と戦うことです。そして、いずれ、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」はその敵意を大いなるバビロンに向けるようにするのではないでしょうか。 

(2)底知れぬ深みの坑から立ち上る煙とは何か 

  かぎによって開けられた底知れぬ深みの坑から大きな炉の煙のような煙が出てきました。(啓示9:2,3)この煙は何を意味しているのでしょうか。 

 煙は、啓示の書の中では、三つほどの意味があります。まず、ひとつは香の煙である祈りです。(啓示8:4)また、二つ目は、火と硫黄による責め苦の煙があります。(啓示14:10,11)また、三番目は大いなるバビロンが「焼かれる煙」です。(啓示18:9) 

 ここでは、煙は大きな炉から立ち上るのですから、香の煙ではないでしょう。次の可能性がある解釈である火と硫黄による責め苦の煙は、その大きな炉の中で、比ゆ的に火と硫黄が燃やされていたとしたら、可能性があります。 

 最後に大いなるバビロンが焼かれる煙も、可能性があるかもしれません。しかし、底知れぬ深みの中に、大いなるバビロンがいて、焼かれているのでしょうか。そういうことはないようです。 

 底知れぬ深みから出て来るものとは、緋色の野獣のはずであり、大いなるバビロンではありません。ですから、緋色の野獣が出て来るところから大いなるバビロンが焼かれる煙が出て来るという理解は、おかしいかもしれません。 

 ですから、このように検討してみると、底知れぬ深みの坑から出て来る煙とは、火と硫黄による責め苦の煙と判断できるかもしれません。啓示14章には、「野獣とその像を崇拝して,自分の額または手に印を受ける者がいれば,・・・火と硫黄による責め苦に遭わされるであろう。そして,彼らの責め苦の煙は限りなく永久に上り,彼ら,すなわち,野獣とその像を崇拝する者,まただれでもその名の印を受ける者には,昼も夜も休みがない。」と述べられています。(啓示14:9-11) 

底知れぬ深みの坑から責め苦の煙が出て来る

太陽が責め苦の煙で暗くなる

 

 ですから、「火と硫黄による」「責め苦の煙」で「野獣とその像を崇拝する者」は責め苦に遭わされます。そして、その責め苦の煙は、太陽と空気を暗くすることになるのでしょう。(啓示9:1,2) 

(3)煙によって暗くなる太陽とは 

 では、この時、暗くなる太陽とは、どの宗教の「太陽」なのでしょうか。以前に何度も説明しましたが、聖書は比ゆ的に太陽という場合、なんらかの宗教グループの中心となる宗教指導者を表わしています。 

 昔、ヨセフが見た夢の中で、太陽はヨセフの父親ヤコブ、月はその妻、星はヤコブの息子たちを表わしていました。(創世記37:9,10)それで、ヤコブの家族の中心的な人物であったヤコブが比ゆ的な太陽でした。 

 それで、天から落ちた星が「底知れぬ深みの坑」のかぎを開けると、そこから煙が出て来て太陽が暗くなるとは、キリスト教の太陽が暗くなることを意味しているのでしょうか。それとも、イスラム教の太陽が暗くなることを意味しているのでしょうか。 

 もう一度太陽が暗くなるとは何を意味するかおさらいします。これは先回の記事で検討しました。イザヤ書には、「苦難の闇」という語や「苦難と闇,薄暗さ,困難な時,輝きのない暗がり」というフレーズもあります。(イザヤ5:30;8:22) 

 ですから、暗くなり闇になることと苦難や困難な時を経験することが結び付けられています イザヤ13章の中にも太陽と月と星が暗くなることを述べた箇所があります。(イザヤ13:10)そして、太陽や月や星が暗くなるとは、圧制者や邪悪な者たちが、その悪の当然の結果を経験し、卑しめられ、命を失うことを意味しています。(イザヤ13:11,12) 

 さらに、ヨエル2章では、「太陽や月」が暗くなり、星も輝かなくなるとは、だれもその下でこらえることができない「大いなる日」である「エホバの日」が到来することを意味しています。(ヨエル2:10,11)  

 ですから、啓示8・9章の文脈の中で、苦難を経験することになるのは、キリスト教の太陽、つまり、キリスト教の宗教指導者だと考えられます。(啓示9:1,2)そして、その後、底知れぬ深みの坑からいなごの軍勢が出てきました。(啓示9:3) 

(4)第四のみ使いのラッパの後太陽の三分の一が暗くなることと第五のみ使いのラッパの後煙によって太陽が暗くなることの違いとは何か

 

 しかし、今回は、第四のみ使いがラッパを吹いた後、太陽と月と星の三分の一が強打され、暗くなるのとは違って、天から落ちた星が底知れぬ深みの坑をかぎを使って開けると、「いなご」の軍勢が出て来る前に、その坑から立ち上った煙によって太陽と空気が暗くなりました。(啓示9:1,2) 

 「底知れぬ深みの坑」から煙が出て来て、太陽だけが暗くなります。そこにはどのような違いがあるのでしょうか。(啓示8:12) 

 第五のみ使いのラッパの後に暗くなる程度は、第四のみ使いがラッパを吹いた後暗くなる程度よりは、範囲が狭いようです。そして、とりわけ、「太陽」、何らかの宗教の指導的な立場にある人々だけが苦難を経験することを示唆しています。そして、第五のみ使いのラッパの後に責め苦の煙によって暗くなる太陽とは、世界的にとても顕著な立場にあるキリスト教の太陽かもしれません。 

       

太陽のようなキリスト教の指導者が苦難と迫害を経験することが予告されている 

 それで、いなごの登場の前に、太陽が暗くなるとは、緋色の野獣が登場した時に、とりわけ、そういった顕著な立場のキリスト教の宗教指導者が責め苦の煙で暗くなる、つまり、国際的に非難を浴びることを意味するのかもしれません。野獣の崇拝者を対する責め苦の煙で暗くなるとは、野獣の崇拝者として非難を浴びることになるのではないかと思います。 

 とりわけ、キリスト教の聖職者が政府に盲従して、戦ったことに対して強い非難が投げかけられて、そのように教会員を指導したキリスト教の聖職者たちに苦難が臨むことを意味しているのではないでしょうか。 

(5)エゼキエル書に預言されているレビ人が偶像崇拝に陥るため苦難にあうという預言 

  エゼキエル書には、「わたしからさまよい出たイスラエルがその糞像を慕ってさまよったときに,わたしから遠く離れて行ったレビ人たちは,彼らもまた自分のとがを負わなければならない」という預言の言葉があります。(エゼキエル44:10) 

 すなわち、「イスラエル」によって表されている神を崇拝する人々が糞像を崇拝するようになる時に、神への奉仕に肝要な役割を果たすレビ人が、同じように偶像崇拝に陥り、神への崇拝から遠く離れていくことが預言されています。 

 エゼキエルの預言によると、そのために、エホバ神は、レビ人が祭司として奉仕する特権を奪います。さらに、レビ人が偶像崇拝に陥ったために、エホバ神は、レビ人に対して「手を上げる」ことが預言されています。(エゼキエル44:12)手を上げるとは「立ち向かう」ことを意味しています。(サムエル第二20:14)ですから、エホバ神はレビ人、すなわちキリスト教の奉仕者に敵して立ち向かわれます。 

 エゼキエルのこの預言は、この時期、すなわち、北と南の間の抗争が激化して、全世界の人々が何らかの野獣の崇拝に傾く時について預言しているのでしょう。 

 すなわち、ローマカトリック教会とギリシャ正教会の僧職者たちは、南の王を崇拝して、あるいは、大いなるバビロンとの霊的な売春のために、戦ったために、諸国民からの軍事攻撃という災いを受け、諸国民から非難されることになるのではないでしょうか。(エゼキエル23:3-10) 

(6)煙によって暗くなる空気とは 

 煙は空気と太陽を暗くします。 空気とは、この世の霊を意味しているでしょう。エフェソス書では、「この世の事物の体制にしたがい,また空中の権威の支配者,不従順の子らのうちにいま働いている霊にしたがって,一時はそうした罪のうちを歩んでいました。」とあります。(エフェソス2:2)ですから、空気とは、空中で働いている霊、すなわち精神態度を意味しています。 

(7)空気が暗くなるとは 

 この世の霊は、罪の内を歩むように促します。空気が暗くなるとは、この世の霊が苦難で苦しめられ、罪のうちを歩むようにと影響を与えることを意味しているのかもしれません。苦難の闇という言葉が聖書にあります。(イザヤ5:30) 

 すなわち、この世で大きな力を持っていたキリスト教の聖職者たちが権力を失い失墜すると、多くの人々は、聖書に対する信仰を失って、世界的にキリスト教への信仰を投げ捨てる人も大勢現れるでしょう。 

 この世の霊は、苦難で苦しめられ、キリスト教への信仰を失い北の王と南の王の両者の戦闘に加わって戦うようにという圧力を受けて、罪のうちを歩むようにとかきたてられる人も多いのではないかと思います。 

 そして、北の王が「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」を設立する前に、北の王は、「聖なる契約をひぼうし,効果的に行動する。」ことが預言されています。(ダニエル11:30)すなわち、「聖なる契約」であるアブラハム契約を悪く言うでしょう。それは、キリスト教そのものを悪く言ったり、非難したりすることを意味しています。 

 それで、北の王が、とりわけ、キリスト教の最も大きなグループであるローマカトリック教会の法王やギリシャ正教会の中心となっている聖職者たちを強く非難するという事態が起きるのではないかと思います。 

 さらに、次の北の王は、「聖なる所を,要害をまさに汚し,常供のものをも除き去る。」ことになります。(ダニエル11:31) 

  それで、「聖なる契約」をひぼうすることはキリスト教の聖職者を攻撃することも意味しているでしょう。キリスト教の聖職者たちは、神に従う責任があるにもかかわらず、南の王に盲従して戦ったことが国際的に非難されるのではないでしょうか。

 

 それで、おおむねキリスト教の太陽である聖職者たちが非難を浴びたり苦難を経験するのは、彼らの神の律法に対する「違反」のためです。(ダニエル8:12)彼らは、神の律法を毅然として守る立場にありましたが、「イスラエルの家にとってつまずきのもととなってとがを犯させ」るのでしょう。(エゼキエル44:12)すなわち、剣をとって戦うように仕向けて教会員に罪を犯させることになるのでしょう。 

 それで、わたしたちは毅然として神の律法を守り、殺人を避け、神の是認と保護を失わないように最善の努力を払いましょう。とりわけ、聖書から人々を教えているクリスチャンは、他の人々を聖書に不忠実になるように導かないように、エホバ神とその律法に固くつくことが求められます。(マラキ2:7)そのようにして、エホバ神の是認を失ってしまわないように努力できます。 

 

キリスト教の教え手の立場にある人はエホバ神の是認を失わないように聖書中の神の律法に固くつく必要がある

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

Buy Now

bible verses about welcoming immigrants

Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

Blog
About Us
Message
Site Map

Who We AreWhat We EelieveWhat We Do

Terms of UsePrivacy Notice

2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.

Home
Gospel
Question
Blog
Help