父からの遺言 孫 良源牧師
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
皆様は「愛の原子爆弾」という言葉をご存知ですか?今から62年前に韓国で殉教をされた「孫 良源ソン ヤンウォン」牧師の事を表す言葉です。ソン牧師は48歳の若さで天に召されましたが、その信仰の道は神と人々の為に生き抜いた48年でした。2回シリーズでソン牧師をご紹介させていただきます。ソン牧師の信仰はその父宗一から受け継がれたものでした。ソン牧師の父は韓国の貧しい農村で暮らしていましたが、近所に住む隣人から主イエスの福音を受け、その日からイエス様に心を捉えられました。初めて出席した礼拝でイエス様を受け入れて、祝福の祈りを受けたのです。「父なる神様、あなたの愛する息子が来ました。今までこの世で迷っていた者が、正しい道に戻ってきたのです。茨の道を歩み、深い淵に陥っていた傷だらけの息子が、父なる神を信じるために来ました。ありのままで受け入れてくださり、家庭にも祝福を与えてください。たとい倒れたとしても、立ち上がることのできる力と勇気を与えてください。暗闇の中にあるこの国のともしびとなりますように。荒野のようなこの国、この地に福音を宣べ伝える尊い一粒の種となりますように・・・」この祈りの通り、ソン牧師の父はこの日を境に生まれかわり、お酒、タバコをやめただけでなく、寝る間も惜しみ聖書を読み、誰かに会う度にイエス様を伝えたのです。しかし、この当時は信仰を守る事が簡単ではありませんでした。しかし、父はどこまでも信仰の姿勢を変えず「神は唯一の神、イエス様です」と、家族や隣人の迫害の前にも証しを立てました。父宗一は特に偶像礼拝(唯一の神以外を神として崇め、拝む事)には屈せずに、先祖を拝む事を一族の中から取り去ろうとして怒りを買い、時には暴力を受ける事もあったのです。しかし、神が一族に働いてくださり、後に、迫害をしていた親族、そして家族達が次々に救われていったのです。ソン牧師は父宗一の長男として生まれ、3歳の時に父が信仰を持ち、キリスト的教育を受け、神の働き人となる為の訓練を受けました。ソン牧師が11歳の時、当時韓国は日本の植民地となっていましたので、学校でも天皇が住んでいる東に向かって拝む「東方遥拝」を強制していました。ソン牧師の通う学校の校長先生は日本人だった事もあり、この事を守る事を特に厳しく徹底していたのです。11歳の子供達は「東方遥拝」に違和感を感じても、監視の目を恐れ、従っていました。しかし幼い頃から偶像礼拝は神の教えを破る事であると教えられてきたソン牧師は、決して頭を下げる事はせず、真の神への祈りを捧げていました。この行為は校長先生の怒りを買い、何度も忠告を受ける結果となりましたが、幼子ソン牧師は信仰に立ち、真の神以外のものを決して拝む事をしませんでした。校長先生はひどい体罰をソン牧師に与え、退学も言い渡したのですが、不思議な神の守りにより、その後、校長先生は転任になり、ソン牧師の退学処分も消され、無事に卒業を迎えました。その後、ソウルの中学に進んだのですが、貧しい農夫の家庭だった故に、昼は学校で学び、夜は働く生活が始まりました。仕事は聖日(日曜日)に及ぶ事もあり、働かなければ学校に通う事ができないソン牧師にとっては苦渋の選択でした。しかし、学べなくなったとしても、主日には教会に行って礼拝を捧げるのが当然と考えていたので、聖日に仕事をしなければならない職場は辞める事となり、その為に、職場を転々とする事になりました。貧しさとキリスト教への迫害の中で、ソン牧師は耐え忍び学びを続けました。苦学を続けてたある日、父宗一が独立運動の首謀者の一人として捕まった事で、ソン牧師は退学を言い渡され、家に戻り家の仕事を手伝うようになったのです。その一年後、今度は日本に渡り、中学の夜間部に入ったのですが、そこでも昼間は働き、夜に勉強をするソウル時代よりも厳しい日々が続きました。家族から離れ、寂しく厳しい日々を支えたのは、聖書と祈り、家族への手紙でした。中学生だったソン牧師の願いは、一日も早く祖国に戻り、福音の為に働く事でした。中学を卒業したソン牧師は進学を放棄し、伝道者になるために帰国し、父に胸の内を打ち明けました。「私は牧師になります。牧師になって、暗いこの地を明るく照らすともしびになります。これこそ最高に価値のある仕事です」父宗一は涙を流して喜びこう言われました。「それは素晴らしい。以前から祈ってきたことを、おまえの口から直接聞くことができて本当にうれしい。私は死ぬまでおまえのために祈ろう。」こうしてソン牧師は聖書学校に入学し、聖書を本格的に学びはじめたが、やはり苦学でした。父宗一はソン牧師の忠実な支援者となり、愛する息子を神のしもべにするために、労苦を惜しまなかったのです。ソン牧師が38歳の時、どこの集会の説教でも、神社参拝が偶像礼拝の罪である事を話していた為、警察が目をつけ、ソン牧師は警察に連行されました。国の思想に対する反対思想の罪は重く、拷問により思想を覆される時勢でした。ソン牧師はその日から5年間牢獄に服する事になったのですが、、警察に連行されていく中、父宗一は勇敢にも息子ソン牧師に言葉をかけたのです。「良源(ヤンオェン)牧師、ルカ9章62節、マタイ10章37節~39節を心に留めてくれ」これが父宗一から息子ソン牧師への最後の言葉、壮厳な「遺言」となりました。「するとイエスは彼に言われた。「誰でも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません」ルカ9章62節「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分の十字架を負ってわたしについてこない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」マタイ10章37節~39節続く(LVJCCブログ制作チーム:薫)ブログランキングに参加しています。クリックで応援してください。