詩篇95篇の黙想

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

 

詩篇95篇の黙想

さあ 主に向かって 喜び歌おう。

私たちの救いの岩に向かって 喜び叫ぼう。(1節)

95篇は、イスラエルの民が礼拝をどのように考えていたかを知る上でとても重要です。礼拝とは神との人格的な出会いです。1節と2節は、礼拝に大きな喜びがあることを教えています。イスラエルの民は、ただ機械的に礼拝を守っていたのではありません。彼らが讃美や祈りをささげる時、その心は喜び、生ける神に向かっていました。彼らは神に向かって讃美と祈りをささげ、また神からの言葉を聞いたのです。これらを繰り返す中で、彼らは対話をするように神と出会い、神との人格的交わりを喜んでいました。

続いて3節-5節には、なぜ神と出会うことが喜びなのかが語られています。それは、神が偉大なお方だからです。夜空を見たり、広大な海や美しい自然に触れると、私たちは神が造られた世界に生きていることを実感し、喜ぶことができます。そして、造られた者が造り主なる神を礼拝することは極めて自然なことであると気づくのです。確かに、この世では悩みがありますが、すべてが神の御手の中にあることを思えば、礼拝を通して神と出会えることは喜びであり感謝なのです。

また6節には、礼拝とは主にひれ伏すことだとあります。もし私たちが神の偉大さを知っているなら、私たちはおのずと神の前に身を低くすることでしょう。私たちが神を喜べない、素直に御言葉を聞けないとしたら、それは私たちが自分を高くし過ぎているからかも知れません。6節のひれ伏すという言葉は、神の御前に自分を低くすることです。礼拝を通して、私たちは神と人との本来の関係に立ち返ることができるのです。

今日の祈り: 父なる神様、どんな時も霊と真理によって礼拝を捧げられるよう導いて下さい。

鶴田健次

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