クリスマスの心」

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

『クリスマスの心』

  今年ももうじきクリスマスです。クリスマスは、世界中が大騒ぎをして祝うイベントですが、このクリスマスほど、その本当の意味が失われているものもないかも知れません。

 クリスマス、クリスマスと言いながら、クリスマスの主人公を忘れて、自分たちだけが楽しんでいる、そんな現実がないでしょうか。

 クリスマスとは、御子イエス・キリストのご降誕を祝う日です。それはキリストの降誕が、絶望の世界に希望をもたらしたからです。つまり、罪のために永遠の滅びが定められているすべての人間に永遠の命への道が開かれたからです。

 しかし、人間にとっては有難すぎるこの恵みが与えられるために、神の子キリストはご自身の命を身代わりとして捧げなければなりませんでした。つまり、イエス・キリストはご自分の命を失うためにこの世に来られたのです。

 ですから、クリスマスのメッセージは、失うことがもたらす恵みと言えるでしょう。だからこそ、イエス様は、愛する私たちが救われるという喜びのゆえに、ご自分から進んで十字架の道を歩まれたのです。

 新約聖書にたくさんの教会が登場しますが、中でもマケドニヤの二つの教会が輝いています。その理由は、その二つの教会が失うことの喜びを知っていたからです。その二つの教会とは、ピリピ、そしてテサロニケの教会です。

 彼らは、迫害と貧しさの中に置かれていましたが、否定的に思えるそれらの環境は、教会がめげてしまう要因にはならず、逆に教会に力を与える結果になりました。パウロがコリントの教会に出した手紙にこう書いてあります。

 「さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。」(2コリント812

 

実に彼らは失うことを恐れるどころか喜んだのです。それは、キリストにあって失うことがもたらす計り知れない恵みを知っていたからです。世界中で働く宣教師、伝道者、そして彼らを派遣する教会も、それをよく知っています。

 

アライアンス教団にメーベル・フランシスという女性宣教師がおられました。1880年、ニューハンプシャー州の牧師の家庭に生まれました。彼女が幼いとき、毎朝祈る母の言葉が彼女の耳に刻まれました。

 「主よ、どうか極東の島国、日本という国に宣教師を遣わし、その国民を救ってください。」

 

ある朝、彼女は母に告げました。「お母さん、私が日本に参ります。」そして彼女は成長し、宣教師として、日本を選んだのです。彼女は、四国において、キリストの器として素晴らしい足跡を残しました。

 多くの教会を生み出し、牧師を育て、戦争中も帰国せずに日本に留まり、日本人のために働きました。戦後、孤児達を助けた功績により、日本政府から表彰されました。その際、昭和皇后の前に招かれた彼女は、皇后に向かってこう言われたそうです。

「あなたは、救われていますか?」

 

彼女は自分の人生を神に捧げ、日本人のために時間と労力を捧げつくしました。彼女の問いは、キリストからのあなたへの問いです。 

「あなたは、救われていますか?」 クリスマスの心をどう位置づければよいでしょうか。贈り物? 家族愛? 施し? 人間愛でしょうか? いや、そうではなく、クリスマスの心は「失うこと」ではないでしょうか。

 神は人間のために、最も大切な独り子を失ってくださいました。キリストは天にある神の座と栄光を捨てて、この世に降りて下さいました。 

 新約聖書は、失うことこそ愛だと言っています。与え、捧げ、ゆだね、託す。そしてイエス様は言われました。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネ1513

 私たちの苦手は、失うことです。人間ならば誰でもそうだろうと思います。得ることを望みます。受けることを求めます。与えられることに喜びを感じます。そのためには日夜祈ります。しかし、失うために祈ったことがあるでしょうか? 

 考えてみると、いつも得ることを求めていたように思います。「祝福をください。癒してください。覚えてください。恵み給えてください」とばかり祈ってきたような気がします。

 

イエス様がお生まれになった理由は、与えること、失うことを抜きに語ることはできません。私たち人間の救いためにご自分の命をも捧げられました。クリスマスの真の意味はここにあります。

 すべてを人類に与えつくして、主イエスは生涯を終えられました。家畜小屋に生まれ、飼い葉おけに寝かされ、ひっそりと眠る御子イエスを拝んだ羊飼いたちと博士たちは、どんな印象を持ったことでしょう。 

 

もうじきクリスマスが来ます。失うためにお生まれになったキリストに出会うために、静かな心で、その日を待ちたいと思います。

今日の一言:クリスマスの心は「失うこと」

鶴田健次 

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