今、海外宣教を問う 福音宣教の本質 在外邦人伝道と「神の国」の視点から

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。


細川 勝利
日本福音キリスト教会連合 浜田山キリスト教会 牧師

 一、在外邦人伝道の現代的意義

 現在、日本人の年間国外旅行者は一千万人以上であり、在外邦人は百万有余と言われる。しかも、北米からだけでも福音信仰に導かれて帰国する人は年間四桁に達するという。プロテスタント教会で受洗する人は年間約一万人と言われることを考えるならば、日本人一億二千万宣教の鍵であることを示している。

 さらに在外邦人伝道は、このボーダレスの時代、諸国民が諸外国に住む現在、「在外邦人伝道」と「在留外国人伝道」が表裏一体をなし、世界宣教の鍵であると言える。特に「思想、信教の自由」のない人に対する「在留外国人伝道」は、その本国にいる何億という人々への宣教につながっているのである。

 二、在外邦人伝道の聖書的意義

 (1)旧約聖書から
 アブラハムはウルから出発し、途中カランに住み着いた。約束の地から言えば在外のカランで召しを受け、約束の地カナンに遣わされた。アブラハムは、その後イサクの妻を出てきた所から迎えた。そのイサクの孫ヨセフは兄たちの悪意からエジプトに売られたが、彼が父と兄弟たちを救うことになる。つまり神の民イスラエルは在外邦人ヨセフによって約束の地カナンではなく在外であるエジプトで救われ、その後約四百年間住み、「在外」で神の民は、画期的増加を見た。また「在外」エジプト時代を終わらせるために用いられたモーセは生粋の在外邦人であり、しかもエジプト王室で育つという二重に在外邦人として生きた。そこからエジプト社会にいる同胞ユダヤ人への愛と約束の地カナンへの望郷が育まれたと考えられる。

 以上のように旧約聖書には「在外邦人伝道」が満ちている。その理由は、聖書が本質的にユダヤ国建設や再建を究極の目的としておらず、神の民の共同体「神の国建設」を目的としているからである。あのモアブの女ルツが後にユダヤの王ダビデの曾祖母となることに、民族主義と国家主義を克服した「神の国」こそ聖書の目的である一端があると言えよう。 (2)新約聖書から
 まずペンテコステの出来事(使徒2章)は、聖霊によって種々の「在留外国人伝道」が始められたと言える。聖霊降臨によって、それまで知らなかった言葉を使って、エルサレムに在留している外国人に福音宣教がなされたのである。この点から在留外国人伝道は、聖霊によってのみ可能であり、そこから世界宣教が展開したと言える。

 パウロもまたモーセと同様在外邦人であった。彼はユダヤ世界しか知らない者ではなく、聖書が持つ古きものと新しいものを理解し、ユダヤ人にも異邦人にも福音は救いをもたらす力であるということを宣べ伝えた。

 彼はローマに護送され、そこでいわば在外邦人であるユダヤ人に「神の国」と「イエス」を伝えた(使徒28:17―31)。それはローマという絶対的権力と富を持つ国も、ユダヤ人にとって祖国であるユダヤ王国の再建もユダヤ人を救わないことを明らかにし、「神の国」のみが永遠の国であり、イエスのみがこの神の国に入れてくださる救い主であることを伝えた。この在外邦人の母国にも、現に生きている巨大な国にも救いはなく、「神の国」と「イエス」にのみ救いがあると語るのが、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき……わたしの証人となります」(使徒1:8)という聖霊による宣教の本質である。

 三、在外邦人伝道の「神の国」的意義

 アブラハムは「主が私の旅を成功させてくださった」(創世記24:56)と告白し、ダビデは「私はあなたとともにいる旅人で……寄留の者なのです」(詩39:12)と語った。パウロは「私たちの国籍は天にあります」(ピリピ3:20)と告白している。つまり神のみことばにより神の民となった者は地上では旅人、寄留者と自覚しているのである。神の民は、地上の具体的な国の中で、「神の国」の民としては「在外邦人」として生きているのである。神の民は常に地上において「在外邦人」なのである。ここに福音宣教の本質がある。つまり真の福音宣教の実は、人をして自らの置かれた国における神の国の「在外邦人」と自覚せしめることである。

 福音はユダヤ人もギリシア人もなく、「神の国」は、ローマでもユダヤでもない。もちろんアメリカでも日本でもない。福音の本質は国家主義でも民族主義でも一文化絶対主義でもないゆえに、これを正しく理解し、生きるために在外邦人は備えられた器である。なぜなら在外邦人は、神の民の旅人性、寄留者性を知り、地上の強大なローマ帝国もアメリカも日本も「神の国」ではないことを洞察し、「神の国」と「イエス」にのみ依存するからである。

 しかし、「福音宣教」の歴史には、地上の国と民族と文化が「神の国」と「イエス」の生命と地位を奪った事実もあることを否定できない。だからそれを悔い改め「神の国」と「イエスが生きている」ことを伝える、真の聖霊による福音宣教を求めていきたい(使徒1:3―11)。

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