ルケード先生の文章には独特の魅力があります。とても親しみやすく、駄洒落もぽんぽん出てくる。マグカップを手にした先生がにこにこして話しかけてくる感じです。それにすごくテンポがよくて、声に出して読むと、詩や音楽のようにうっとりする。目の前に情景が浮かんできて、映画のシーンさながらに脳裏に焼き付いてしまうのです。
まさに言葉の魔術師!
ところがいざ訳すとなると、日本語にならない話し言葉や洒落が多くて頭を抱えてしまいます。あまりくだけすぎて変に軽く慣れ慣れしくならないように気を配りつつ、原文の魅力を日本語に写し取るのは、とうてい不可能に思えます。しかも、親しみやすい文体は、イエスさまの優しさ温かさを効果的に表すためのものですから、句読点ひとつもゆるがせにできません。
自分の弱さもさらけだして人間的な主の姿を描こうとするルケード先生に、骨のペンと血のインクで書いているような厳しさを感じるのです。そんな先生の全身全霊をかけたメッセージを、翻訳者として信仰者としてあまりにも未熟な私が訳させていただいていいのかと、ときには夜も眠れなくなるくらい恐ろしくなることがあります。
それでも神さまは、先生の著作を通して「神はもっとも取るに足らない者を用いてくださる」と語りかけ、強力な助け手を与えて下さいました。多くの方々の励ましと祈り、そして何より主の支えがなかったら、とても訳出をつづけることはできなかったでしょう。『ファイナル・ウィーク』を訳していて、ゲツセマネの園の章を読んだときの感動は忘れられません。
イエスさまは、私たちの罪を負って十字架で死なれただけではなく、私たちと同じ弱い人間となって、愛する人の裏切りも見捨てられるつらさも死の恐れも身体の痛みも、すべて味わってくださった。「悲しみのあまり、死ぬほど」だったのに、深い闇の中にいる私たちに目をとめ、逃れ去ることを思いとどまられた。「イエスはあなたのために地獄に行くことさえ願われたのだ。あなたのいない天国に行くくらいなら……」の言葉に、涙がとまりませんでした。
今回、訳させていただいた『ザ・クロス』も、感動的な場面がたくさんでてきます。その中のひとつ――五歳のマデリンは、クリスマスイブにパパとダンスを踊るのが大好き。でも大人になると、男手ひとつで育ててくれた父親を捨てて家を出てしまった。時が流れ、もう家には戻れないと嘆く娘のもとに届いた一通の手紙――そこには「家に戻っておいで。また、パパと踊ってくれるかい?」と書かれていた……。この章には「わたしは決してあなたを見捨てない」というタイトルがついています。ぜひ、読んでみてくださいね。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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