わたしたちが知っているように、律法の時期の末期、人は極めて深く腐敗して、律法を守れないため、律法によって罪定めされ、死刑にされるという危険な状態にありました。受肉した主イエスはわたしたちの罪を担うために、十字架につけられてわたしたちを罪の中から贖い戻されました。彼はわたしたちの罪を赦し、またわたしたちに豊かな恵みと祝福を与えられました。そのため、わたしたちは神が永遠に人を愛し、永遠に慈しみ、憐れみ、簡単に怒らないと思っています。神の性質の中に慈しみ、憐れみだけがあるとでも言うのですか。神に対するわたしたちのこのような認識は一面的ではありませんか。では、わたしたちは神のなさった、律法の時期と恵みの時期の仕事を通して、神のどんな性質がわたしたちが認識していないかを見てみましょう。
わたしたちは旧約の律法に関する記録を通して次のことを知りました。ヤーウェ神の律法の時期の仕事は、律法を発布し、地上での人の生活を導き、人に律法、戒めを守らせ、人に罪とは何か、どんな人が神に祝福されるか、どんな人が神に呪われるかを知らせることです。律法、戒めに背いたすべての人は神の性質を犯したため、罪定めされ、死刑にされました。ヤーウェ神が言われたように、「しかし、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、今日わたしが命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう。……これらの呪いは、ことごとくあなたに臨み、付きまとい、実現して、ついにあなたを滅びに至らせる。……」(申28:15、45)。これで分かるように、神が律法の時期に発表されたのは激しい怒り、呪いという性質です。しかし恵みの時期に、わたしたちは主イエスが人を愛していて、人類を贖うために十字架につけられて人の罪を担ったのを見ました。当時、人々は主イエスは肉体の中で現れて、贖いの仕事をする神自身であることを認識せず、ユダヤの民はみな彼を見捨てました。ところが、主イエスは極めて大きな愛と寛容、忍耐をもって人の間で働いておられました。主イエスは兵卒たちにむち打たれた時でさえ、父なる神が彼らの無知を赦してくださるようにと祈られました。こうして、わたしたちは神が恵みの時期におもに慈しみ、憐れみという性質を発表するのを見ました。では、わたしたちは主イエスが働かれた時、神が威厳、激しい怒りという性質を発表したかどうかを見てみましょう。主イエスはエルサレムの神殿に入った時、神殿が売り買いをする場所になったのを見られました。すると、彼は両替人の台や、鳩を売る者の腰掛けをひっくり返し、神殿の中の牛や羊を追い出し、しかも彼らが神を礼拝する神殿を強盗の巣にしてしまったと責められました。このような時、神は威厳、激しい怒りという性質を表現されました。彼は神殿の中の盲人や足の不自由な人がそばに寄って来るのを見た時、彼らをいやされました。このことから、わたしたちは神の慈しみ、憐れみを見ました。さらに、ヤーウェ神に仕える祭司長、律法学者とパリサイ人が神の言葉を守り、神の発布された戒め、掟によって神に仕えた時、神殿の中がヤーウェ神の栄光で満ちていて、ヤーウェ神が彼らと共にあり、神の霊が彼らの間で働き、神の慈しみ、憐れみも彼らに伴っていました。律法の時期の末期になって、ユダヤ教のリーダーたちは律法に背いて劣ったいけにえをささげ、いけにえを盗み食いし、昔の人たちの言い伝えについてだけ話し、神の戒めを捨てました。彼らは民を導いて宗教的儀式を守り、口先で神を礼拝していたが、心の中に神の位置がありませんでした。自分の地位と飯の種を守るためには、彼らは民が神に対する認識を追い求めるのを導かないで、ただ聖書の中の、文字の教理を説教していました。だから、主イエスが来て働かれた時、彼らは神の民を神の前にもたらすどころか、かえって主イエスに逆らい、主イエスを罪定めし、人が神に立ち返るのを妨げ、阻止しました。だから、主イエスは「七重の災い」をもって彼らを呪い、罪定めし、「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ」と言いました。こんな時、威厳、激しい怒りという神の性質が現されました。最終的に、ユダヤ教のリーダーたちは主イエスは預言の中の来たるべきメシアであり、キリストの現れであることを認識していないので、主イエスを十字架につけ、神の義なる性質の中の激しい怒りに触れました。そのため、イスラエル国が紀元七十年滅びました。主を裏切ったユダは神の性質を犯したため、体が真ん中から裂けて、死にました。これらのことから、わたしたちは神の威厳、激しい怒り、そして神の義なる性質の不可侵性を見ました。
聖書に記されている物語の中から、わたしたちは神が異なる人に対して異なる性質を発表するのを見ることもできます。わたしたちはみな次のことを知っています。サウルはイスラエル人の初めての王でした。最初は、彼はヤーウェ神の命令に従い、神の言葉に基づいて実行し、神の道を守っていました。そのため、ヤーウェ神の霊は彼と共にあり、彼は神に祝福されて、いつも戦いに勝ち、神の慈しみ、憐れみも常に彼に伴っていました。しかしアマレクを討つ時、彼は神の敵アマレクに属するものを一切滅ぼし尽くせという神の命令に従いませんでした。むしろ彼は自分の意志によって羊の群れと牛の群れの最も良いものを引いて来ました。そして、それらを神への供え物にしようとすると言いました。そのため、サムエルは「聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(サム上15:22)という神の言葉を彼に伝えました。サウルは神の言葉に従うことができないため、聖霊に捨てられ、神の導きを失いました。こうして、彼はもはや勝ち戦をすることができなくなりました。それ以後、彼は苦しみと恐怖の中で生きるようになりました。サウルが神の言葉に聞き従う時、神は彼と共にありました。だが、彼が神の言葉に違反して自分の意志によって事を行う時、神の怒りは彼に臨みました。神の祝福を失ったサウルは弱くなり、無力になりました。最終的に、戦に負けたため自殺しました。このことから、わたしたちは神がこんな時威厳、激しい怒りという性質を表現したのを見ました。
わたしたちはまたダビデ王のことを見てみましょう。ダビデは小さい頃から羊を放牧していました。かつて石投げ紐と石一つでペリシテ族の巨人に打ち勝ちました。王とされた後、何度もすぐれた手柄を立てました。彼は戦いに出るたびに、ヤーウェ神に依り頼んで相手に打ち勝ちました。彼は神の道を行い、神に畏れを抱いていて、神の言葉に聞き従うのでした。神の霊も常に彼と共にありました。だから、彼が得たのはヤーウェ神の祝福です。それによって、わたしたちは慈しみ、憐れみという神の性質を見ました。しかし、彼はヘト人ウリヤの妻バト・シェバをわがものにするために、ウリヤをアンモン人の剣で殺しました。そしてウリヤの妻バト・シェバを娶りました。ヤーウェ神がダビデの行った悪いことを見たため、威厳、激しい怒りという神の性質は彼に臨みました。ヤーウェ神はダビデを呪って、剣がとこしえに彼の家から去らないようにされました。その上、バト・シェバが生んだダビデの子も死にました。ダビデの息子さえもダビデを殺そうとして追跡しました。このことから、わたしたちは威厳、激しい怒りという神の性質の不可侵性を見ました。そういうわけで、ダビデは一生をかけて神に悔い改め、しかも死ぬまでにほかの女に近づきませんでした。
以上の事例から、わたしたちは神の性質の中に慈しみ、憐れみもあれば、威厳、激しい怒りもあること、また、神が異なる人に対して異なる性質を発表し、神の性質が人の言動、人の行為、人の心の奥底の神に対する態度に基づいて発表されることを見ました。わたしたちがさっき述べていたダビデを例に挙げましょう。彼が心の中で神に依り頼み、神の言葉に聞き従い、神の道を行う時、神は慈しみ、憐れみという性質を表現し、神の霊も彼に伴っていて、彼に祝福を与えられました。しかし彼が神の目に悪とされることをし、神の道を行わず、神の言葉に違反する時、神の威厳、激しい怒りは彼に臨みました。わたしたちはこれで分かりました。神の慈しみ、憐れみは神の言葉を聞き、神の道を行い、神を畏れ、悪を避ける人に与えられ、神の威厳、激しい怒りは神の言葉に違反し、神の道を行わず、神を畏れる心を全然持たず、神の目に悪とされることをするすべての人に臨みます。神の慈しみ、憐れみと威厳、激しい怒りはすべて神の義なる性質の表現です。彼の義なる性質は、いかなる人も犯してはなりません。すべての良い事物のゆえに、神は慈しみ、憐れみという性質を発表されます。罪悪や神に逆らうことのゆえに、神は激しい怒りを放たれます。だから、人がどのくらいの代価を払っても、どのくらいの苦しみを受けても、どのくらいの仕事をしても、神の怒りに触れ、神の言葉に違反し、神に逆らい、背いたら、神は彼を嫌悪し、またご自分の義なる性質を表現します。わたしたちが神の性質に対する本当の認識を持ってこそ、自分を、神の性質を犯すことから守ることができます。
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Emmanuel
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