新約聖書よもやま裏話 第14回 マケドニア人の叫び 偏見、先入観を超えて

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

伊藤明生
東京基督教大学教授

 使徒の働き一三章の冒頭には、シリヤのアンテオケにあった教会が、礼拝中に聖霊の御声を聞いたことが記されている。教会はその御声に従い、バルナバとサウロ(後のパウロ)を福音宣教のために聖別して派遣している。

 使徒の働きの著者であるルカは、パウロの第一回目の伝道旅行について一三章と一四章を割いて記す。キプロスに渡り、そこからパンフリヤのペルガへ進み、ピシデヤのアンテオケ、イコニオム、ルステラ、デルベへと宣教した。ぜひ、地図で場所を確認してほしい。

異邦人への広がり

 ユダヤ人たちは安息日に会堂に集まり、旧約聖書朗読を中心とした礼拝を献げていた。パウロは行く先々のユダヤ教の礼拝で、キリスト教の伝道説教をしたのである。ユダヤ人たちの中には、当初パウロたちの宣教に快く応答する者たちもいた。

 しかし、パウロたちをねたんだユダヤ教当局が介入して活動を妨害すると、なかなか福音宣教は前進しなくなった。そのかわりにユダヤ教に心を寄せていた「神を畏れる人々」やユダヤ教に改宗していた人々を中心とした異邦人たちが救いに与った。

 ペテロの伝道によって百人隊長コルネリオとその家族が回心し、キリスト教界は、すでに異邦人の救いを体験していた。パウロたちを派遣した教会は、異邦人への宣教が前進することを、必ずしも予期していなかった。しかし、「異邦人に信仰の門を開いてくださった」がパウロの伝道旅行の宣教報告の骨子となったのである。

意見の不一致

 異邦人の救いの「条件」を討議する「エルサレム会議」が開かれ、「使徒教令」という形で決着した。その後、パウロ一行は再び伝道旅行に出かける。先の宣教ですでに救われている兄弟姉妹たちを訪問し、励ますのが当初の目的であったが、しばしば物事は計画どおりに進まず、思惑に反する結果を生むものである。第二次伝道旅行は、しょっぱなからつまずいた。

 マルコと呼ばれるヨハネの処遇を巡って、パウロとバルナバとが激しく対立したのである。第一次伝道旅行の途中で、一行から離れて別行動を取ったマルコを連れて行くかどうかで意見が一致しなかった。結局、バルナバはマルコを連れてキプロスに、パウロはシラスと共に出かけることとなった。ルステラでテモテも加わり、パウロ一行は第一次伝道旅行で伝道した地域を再訪問して、そこで福音宣教の拡大に励もうとしていた。

「聖霊の禁止」

 ところが、なんと一行はアジヤでみことばを語ることを禁じられたのである。しかもユダヤ教当局やローマ帝国の地方権力によってではなかった。「聖霊によって禁じられた(または妨げられた)」とルカは記している。

 具体的に何があって聖霊の禁止と判断したかは、ルカが具体的に記していないのでわからない。しかし、ルカが「聖霊の禁止」と明記する以上は、何かがあったのだろう。そこでパウロらは、計画を変更してフルギヤ・ガラテヤの地方を通り、ビテニヤに行こうとするが、またもやイエスの御霊の介入があった。今度は「イエスの御霊が……お許しにならなかった」と記されている。

 常識的に考えれば、御霊は宣教のわざを推し進める方であって、かたくなな罪人の心を砕き、心を開かせ、悔い改めへとお導きになるはずではないだろうか。ところが、ここではパウロたちの宣教計画を妨げ、お許しにならなかったのである! パウロさえもとまどいを禁じ得なかっただろう。聖霊のみこころは、パウロたちの考えを超えたものであった。

 トロアスで夜、パウロは幻を見た。マケドニヤ人が現れて、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください!」と懇願したのだ。小アジヤ、今のトルコからボスポラス海峡を隔てたマケドニヤに渡り、伝道することがみこころだとパウロたちは確信した。聖霊のみわざは一時的にみれば否定的であったが、実はより積極的に広い視野で福音宣教を展望していた。

神のみこころ

 人間には、偏見、先入観、固定観念と言うべきものが必ずある。自分で自分のことは認めがたいが……。パウロのような大宣教者でさえも、海峡を超えてヨーロッパに足を踏み入れようとは夢にも思わなかったようだ。この後、パウロたちは、ユダヤ人が少なく、異教徒が多い地域で宣教を繰り広げていくことになる。

 ピリピにはユダヤ人が少なく会堂がなかったので、ユダヤ人たちは安息日になると「祈り場」に集まっていた。アテネでパウロは、アレオパゴスとよばれる広場で福音を宣教した。

 使徒の働きには、人間の偏見、先入観、固定観念を神が打ち砕かれた様子が描かれている。だからといって、神は決して無理強いをなさらない。常にじっくりとご自身のみこころであることを、これでもかこれでもかと示し、かたくなな私たちを説得しようとなさるのである。

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