新約聖書よもやま裏話 特別編 「ユダの福音書」って何?(1)

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

伊藤明生
東京基督教大学教授

 

いったい何の騒ぎ!? 「ユダの福音書」からのチャレンジ

『ナショナルジオグラフィック』誌から

いやあ~、またやってしまった! 人を見送りに行った成田空港、たまたま通りかかった洋雑誌店でNational Geographic五月号を見かけた。表紙には「ユダの福音書」と明記され、背景には大きく「ユダの福音書」の写本の写真が印刷されている。少し小さめの字で「千七百年前の本文の秘密を解読」ともある。

いやしくも新約学が専門だと自認し、神学校と神学大学で新約聖書を講義する身としては、まさか見て見ぬふりをして前を素通りするわけにはいかなかった。でも一読して、買わなくて良かったモンで、無駄な買い物をしてしまったことに気がついた。何も目新しいことは書いてなかった。

『ナショナルジオグラフィック日本版』も同路線であった。「ユダの福音書」の写本を背景にして「ユダの福音書を追う」という大きな見出しが表紙を飾っていた。

キリスト教や聖書にあまりなじみがない日本人読者に配慮してか、四九頁には「聖書・福音書基礎知識」と題する小さな囲み記事があり、記事の最後(五九頁)には「聖書に描かれたユダ像」と題する補足説明一頁が付け加えられていた。

さらに、当誌ホームページを開くと、まさに「ユダの福音書」大特集の感があり、渾身の企画といえる。関連書物出版(緊急出版『ユダの福音書を追え』)の案内があり、オンラインで注文できるようになっている。また、著名な専門家たちのインタビューを生音声で、日本語の字幕付きで見ることができるようになっている! この雑誌の意図するところはいったい何だろう……。

「ユダの福音書」って?

「ユダの福音書……? 聞いたことないなあ~」「えっ、私の聖書には、ユダの手紙はあるが、ユダの福音書は……なさそう」

そうです。「ユダの福音書」は私たちの聖書六十六巻の中にはありません! 聖書にあるのは、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書の四つ。それらを意図的に区別するときには正典福音書、正典に入らなかった福音書を外典福音書という。正典に入らなかった、正典の外という意味である。

その外典の中でも「ユダの福音書」は、つい最近、ほんとに最近、去年の八月に日の目を見た古文書である。新約聖書正典に入っているわけがない。

ちなみに、新約聖書にある「ユダ(Jude)の手紙」のユダと「ユダ(Judas)の福音書」のユダは別人である。前者はイエスの弟でペテロの後継者、エルサレム教会の指導者となったヤコブの弟のユダである(ユダ一節)。「ユダの福音書」のユダは、イエスを裏切った弟子、銀貨三十枚でイエスをユダヤ教当局に売り渡した「裏切り者」、イスカリオテのユダである。

『ナショナルジオグラフィック』誌では、「ユダの福音書」は正典福音書に描かれたイスカリオテのユダ像をくつがえす衝撃的な福音書だ、と主張されている。ユダはイエスを裏切った弟子ではなく、むしろだれよりもイエスを理解し、イエスの意図を正確に把握し、イエスの指示に従った忠実な弟子として描かれている、というのだ。ユダがイエスを銀貨三十枚で売った事実を否定しているのではなく、ほかの弟子たちはイエスを理解せず、ユダのみが真の意味を承知し、イエスの指示に基づき、イエスを「裏切った」のだ、と。

なぜ正典でないのか

そもそも、正典と外典とは、どのように分離、区別されたのか。どのように正典(新約聖書二十七巻)が定められたのか。なぜ「ユダの福音書」は正典に入らなかったのか。

今回「発見」され、公開された「ユダの福音書」の写本は、コプト語という古代エチオピアの言語で書かれている。このコプト語の写本は翻訳されたもので、元来の「ユダの福音書」は、ギリシャ語で書かれたものであったと想定されている。そのため、かなり初期(遅くとも二世紀)に書かれたことは間違いないだろう。しかし、コプト語でしか残らなかったということは、あまり広く諸教会で読まれなかったことを意味している。

「ユダの福音書」が発掘されたエジプトの砂漠とは異なり、湿度の高いパレスチナなどでは、写本は腐敗して後代にまで残らない。だから、エジプトで埋もれたコプト語の写本しか後代にまで残らなかったが、他でも広く読まれたに違いないと主張することも可能である。しかし、初代教会で広く、好んで読まれた形跡はない。少なくとも正典に入った書と比較すれば、限定された地域で限られた人々しか読まなかったものと思われる。

また、グノーシス主義と呼ばれる異端の文書であることも、正典に入らなかった理由の一つである。「グノーシス」とは知識を意味するギリシャ語であるが、ある特定の霊的な知識を体得すると、神と直接に(つまり、キリストの仲介抜きに)交わりを持つことができる、という考えである。

キリスト教会では伝統的に、キリストが唯一絶対の仲保者であると理解されてきたが、グノーシス主義では疑念の目が向けられたことになる。こういうわけで、グノーシス主義は正統的キリスト教会から異端として排除された。

「神のことば」とは?

読者の中には首をかしげるる方もいらっしゃるかもしれない。聖書って神のみことばだったのではないか、と。

確かにそのとおりである。

では、聖書が神のみことばであるとはどういうことなのだろうか。聖書が、そのまま天から降って来たということではない。聖書を書き記した聖書記者たちに後光がさしていたわけでもなく、聖書記者が聖霊の働きにうながされ、導かれて書き記した書物が特別に光り輝いていたわけでもない。

誤解をおそれずに言うならば、聖書に入れられた書物は、普通の書物と同じで、(見た目には)何の変哲もない書物だったのである。人の目には明らかではなかったが、聖霊の働きがあった。

聖霊の働きのもとで書かれた書物は、様々な観点から、どの書が聖霊によって書き記された神のみことばかが徐々に明らかにされていった。歴史によって検証、評価され、歴史のふるいにかけられてきたのである。

キリスト教会が正典について考える契機となった事柄はいくつかあり、先に触れたグノーシス主義のような異端の登場もそうだった。

新約聖書よもやま裏話 第1回 「こんな小さな……」本文研究はじめの一歩!

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