「正義のゆえに高くされ」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します
99・6・6

「正義のゆえに高くされ」

村上 伸
イザヤ書5,8-16 ; ローマの信徒への手紙 11,28-36

 

 イザヤは紀元前8世紀の南王国ユダ(2700年余り前)の預言者である。前回も述べたように、彼は当時の政治家や宗教家の堕落を厳しく批判したが、今日の所では批判の矛先は経済の実権を持っていた富める都市貴族に向けられる。

昔も今も、実際に世の中を動かしているのは経済である。

例えば戦争は、通例、大義名分を掲げて行われるが、石油・農産物・景気回復などの経済的な事情が支配的な動機であることは、既にヤコブの手紙が指摘している通りだ(4,1-3)。ナチス・ドイツがドイツ民族の「生存圏」を東の方に拡大するためにポーランドや旧ソ連に戦争を仕掛けたように、そして我が国が「満州は日本の生命線である」として戦争に突入して行ったように、経済が戦争の最大の動機であることは明らかだ。特に冷戦後は、巨大化した軍需産業を破綻させないようにという動機が加わったと言われている。

確かに、中東の戦争では「アラブの大義」ということが言われたし、今度のユーゴの紛争に際しても「人権抑圧を止めさせる」という名目が掲げられたが、その背後には経済的な動機が見え隠れしている。

 

預言者イザヤが今日の所で、経済問題に言及していることは、預言者の現実を見る目が単に鋭いだけでなく、幅と深さを備えていたことを物語るものだ。

事柄が複雑になってはいけないので、先程はわざと途中迄しか読まなかったが、この段落には、「災いだ」という言葉で始まる六つの指摘がある。

8-10節=都市貴族の土地独占という問題。

11-17節=富を独占して酒におぼれる富裕な階級の姿。

18-19節=「むなしいもの」(金銭)によって権力を手に入れた人々は思い上がり、 神に対してさえ悪態を吐く。

20節=富める者たちの偽りと不正

21節=彼らの己惚れ

22節=酒飲みと賄賂

これらはいずれも、政治家や宗教家の腐敗堕落と並んで、経済の実権を握る者たちの横暴が社会をだめにしているという批判である。

 

「災いだ」とイザヤは言う。この言葉(ヘブライ語で「ホーイ」)は、元々は泣き声から来ている、という。人々は耐え難い悲しみに包まれたとき、「ホー」とか「ホーイ」とか叫んだ。ある注解者は、これは韓国語の「アイゴー」に一番近いのではないかと説明している。多分、そうなのであろう。

富裕な都市貴族は、バブル期の地上げ屋のように次々に土地を買収して独り占めにし、何万ヘクタールという農場を持ち、何軒も豪邸を建てる(8)。だが、そのように因業な手段で財産を増やし、飽くなき金銭欲・事業欲で奢り高ぶった人々は、必ず「ホー」とか「ホーイ」とか叫んで嘆くようになる、とイザヤは言うのである。これら多くの豪邸、美しい家は必ず荒れ果てる(9)。ぶどう畑も荒廃して、収穫が激減する(10)。

富を独占して酒におぼれ、歓楽にふける彼らの高ぶりも、長くは続かない(14-15)。「むなしいもの」(金銭)によって権力を手に入れ、思い上がって神さえも甘く見るような人々(18-19)も同様である。偽りと不正をこととし、己惚れてやまない人々(20-21)、裁判でさえ金の力や権力で左右できると思い込んでいる人々(23) は必ず没落する。バブルがはじけた時、人々は「日本経済の底はこんなに浅かったのか」と嘆いたものだが、ちょうどそのように、「不正な繁栄」は底が浅いとイザヤは言う。→24節。

神が支配し給うこの世界には、時に理不尽とも見え、「神様がいらっしゃるなら、どうしてこんな事が起こるのか」と嘆きたくなることもないわけではないが、その一方で、「奢る者久しからず」という法則もあって、必ずそうなることをイザヤは知っていた。バブルがはじけた時に、日本人がしたたかに味わされたのは、正にこのことではなかったか。

イザヤは、神の正義というものを、このように具体的に考えていた。

神は、この歴史的世界を、「高ぶる者は低くされる」(15)という法則によって支配される。事実、奢り高ぶる者がいつまでも栄えた例がこの歴史にあるだろうか。必ず低められる。その反面は、低い者が高められる、ということである。こちらの方は、いつでもそうなるとは限らない。イエスのように、理不尽にも辱められたまま生を終わる人も多い。だが、そのイエスによって我々は、「死に至るまで、十字架の死に至るまで従順であった方が、高く上げられた」(フィリピ 2,8-9)逆説を知らされる。

これが歴史における「主の働き」(12)であり、「御手の業」(12)、「恵みのみ業」(16)なのである。このように考える時、16節がこの段落の中心であることが明らかであろう。

我々は、この神の正義を信じて生きなければならない。奢らず、高ぶらず、欲に支配されず、慎ましく生きる。そして、これこそは愛の道と一致する。  第一コリント 13,4-7



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