「新しい歌をうたう」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

我々の世界は一体どうなるのか? 歴史はどこへ向かうのか? 問題と矛盾に満ちた現代世界のことを思う時、 我々は不安に閉ざされ、しばしば途方に暮れたような気持ちになる。紀元1世紀末のヨハネも同じであった。確かに彼は、「玉座に座っておられる方(神)の右の手に巻物があるのを見た」。つまり、世界史の行く手や意味を神はご存知である、と信じていた。だが、それは「七つの封印で封じられて」いて、ヨハネ自身にも他の誰にも見えない。途方に暮れたヨハネが泣いていると、「泣くな」と励ます声がして、封印を解くことの出来る方がいる、と告げられる。---これが、先週共に学んだ 5,1-5の内容である。

今日は 6節以下を読む。ヨハネの幻は続いている。その中で彼は、「屠られたような小羊」(6)を見た。ヨハネ福音書1,29でイエスが「世の罪を取り除く神の小羊」と呼ばれていることから見ても、「小羊」は明らかにイエスのことである。

そして、この「小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った」(7)。「巻物を受け取る」のは、その封印を解いて世界史の意味を解き明かすためである。だから、四つの生き物と24人の長老が歌った新しい歌の冒頭に、「あなた(イエス)は、巻物を受け取り、その封印を解くのにふさわしい方です」(9節前半)と言われているのである。封じられた世界史の目標と意味は、小羊、つまりイエスによって解かれる。

イエスによって解かれるとは、どういうことであろうか? 新しい歌の内容が、これを示唆している。すなわち、「あなたは屠られて、あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から御自分の血で、神のために人々を贖われた」(9節後半)。

つまり、イエスは自ら十字架の苦しみを引き受け、肉を裂き・血を流すほどに、この世界と、そこに生きているすべての人を愛された。この世界は、そのために一度そして永遠に彼の尊い血が流された世界であり、そこに生きる一人一人の人間は、そのために一度そして永遠に彼の尊い血が流された人間である。もうこれ以上、血が流されてはならない。世界史の意味はここにある。

少し先走るようだが、21章で、新しい天と新しい地が現われる「終末の日」について、次のような慰め深い約束が書かれていることに注目したい。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きもない。最初のものは過ぎ去ったからである」(21,3-4)。小羊の尊い血が流されたこの世界は必ずそのようになる、というのである。これが世界史の意味なのだ。

憎しみが愛に、諍いが赦しに、分裂が一致に、疑惑が信頼に、誤りが真理に、絶望が希望に、闇が光に、悲しみが喜びに変わる日が必ず来る。イエスが愛したこの世界、彼がそのために苦しみ・血を流した世界は、あてもなくさ迷っているのではなく、この約束の下で目標に向かっている。この約束が世界を支配しているのである。

「新しい歌」は、このことを先取りしている。

ここで、「あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から」という言葉について、特に考えておきたい。これは、神の約束は、種族の違い・言葉の違いを超えて、すべての民族・すべての国民に与えられているという意味であろう。

6月21日の毎日新聞夕刊に、昨日のワールドカップ「イングランド対ブラジル」戦に先立ってBBC放送が英国教会の典礼学者ジェレミー・フレッチャー師の祈祷文を紹介した、という記事が載っていた。

フレッチャーはこう祈ったらしい。「神よ、ブラジルに勝利を与え給うな」。「神よ、ブラジルの選手に恐怖を与え給え」。「神よ、その手を挙げて、ロナウドとリバウドの力を弱め、ロナウジーニョを混乱させ給え」。「神よ、これらがかなわなくても、土壇場で、たとえオフサイドとおぼしきゴールでも、イングランドに与え給え」。

私はこれを読んだとき、悪い冗談だと思って笑ってしまった。ところが、どうも冗談ではないらしい。教会が国のために祈るということは、「キリスト教的ヨーロッパ」では長い伝統であった。英国教会の祈祷文の冒頭には「女王のための祈り」がある。戦時には、もちろん勝利のために祈る。サッカーの勝利のために祈るのも教会の使命だと考えているのかもしれない。この祈りは聞かれなかったようだが。

我々も国のために祈る。しかし、その祈りは単に「愛国的な祈り」であってはならない。「国のために祈る」ということは、この国が本当に正しい国・正義と公平を実現する国となるように、従って、種族の違い・言葉の違いを超えて、すべての民族・すべての国民と共に平和を創り出すことが出来るように、と祈ることである。鼻持ちならぬ「ナショナリズム」の悪臭を放つものであってはならないのだ。黙示録が、「聖なる者たちの祈り」を「香」に譬えている(8)ことに留意したい。

最後に、12節と13節に歌われている大合唱について一言したい。周知のように、これはヘンデルの「メサイヤ」で使われた。「メサイヤ」が国境を越えて全世界で愛されているように、この賛歌は、国境を越えたイエスの愛に対する賛美に他ならない。狭い意味でキリスト教を称える意味にとってはならない。


 
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