モナージズムとシナージズム(神単働説と神人協働説)はどちらが正しいの?

は、神、聖書、救い、そのほかの霊的な課題を理解することの助けとなる のを願って、それに専念し、訓練を受けたボランテイヤの奉仕者から成るミニストリーです。私たちはクリスチャンです。プロテスタント、保守主義、福音派、根本主義、そして無宗派です。私たちは、教会と相並んで、霊的なことに関しての質問の答を人々が見つける手伝いをするパラ.チャーチ.ミニストリーだと自分たちを見ています。
この件は長い間議論されてきましたし、この議論が福音の中心部に関わってくると言っても過言ではありません。まずこれらの言葉を定義しましょう。私たちがモナージズム(神単働説)とシナージズム(神人協働説)について議論する際、神学的に、救いが誰によってもたらされるものであるのかを議論しているのです。モナージズムとは「一人で働く」事を指すギリシャ語を語源とし、神のみが救いの働きをされるという見解です。この見解はカルヴァン主義や改革派の人々に支持され、「恵みの教理」と呼ばれる教えとしばしば結びつけられます。一方、シナージズムは「共に働く」事を指すギリシャ語を語源とし、神が私たち人間の働き救いをもたらす際に用いられるという見解です。モナージズムがカルヴァン主義と結びつけられる一方、シナージズムはヤーコブス・アルミニウスと結びつけられ、現代社会の福音主義の教会の神学を影響してきました。カルヴァンとアルミニウスはこれらの見解の創始者ではありませんが、カルヴァン主義とアルミニウス主義の派生の元となった人物です。

これらの説は17世紀初期に激しく議論され、アルミニウスの弟子たちはThe five articles of the remonstrance (5箇条の反対意見書)という、カルヴァン主義と自分たちの神学の相違点を記した本を出版しました。この議論の中心となったのはカルヴァン主義の無条件的選びの教えとアルミニウス主義の条件的選びでした。神の選びが 無条件的であると信じる人はモナージズム的な救いの神学を支持し、神の選びが誰が御自身を信じるかという予知という条件によるものと信じる人はシナージズム的な救いの神学を支持するでしょう。

無条件的選びと教えはウェストミンスター信仰告白に人類の中で命に予定されている者たちは、神が、世の基の置かれる前から永遠不変の目的とみ旨のひそかな計画と満足に従って、キリストにおいて永遠の栄光に選ばれたのであって(1)、それは、自由な恵みと愛とだけから、被造物の中にある信仰・よきわざ・そのどちらかの堅忍・またはその他の何事をでも、その条件やそれに促す原因として予見することなく(2)、すべてその栄光ある恵みの賛美に至らせるために、選ばれたのである」(ウェストミンスター信仰告白 III 5)と書かれています。このように、無条件的選びは神の選びは神の御心のみによって定められ、その選びは人の信仰や行いを予見する事によらないという教えなのです。

この教えは主に2つの聖書箇所からきています。一つ目はエペソ1:4-5で「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」この箇所によると、神は私たちをキリストと一つにするためにを世界の基の置かれる前に、御心のゆえに、選ばれたのです。二つ目の聖書箇所はローマ9:16で、「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」と書いてあり、神の働きは他の何でもなく、御自身のあわれみによって定められるのです。

カルヴァン主義とモナージズムの中心点は神は人々を救われる事が可能にするだけでなく、実際にその御手を伸ばして救われるという点です。人間は皆罪を持って生まれ、その性質のゆえに必ず神を拒絶します(全的堕落)、ですから、神は人々がやがて自らを信じるかどうかの予見をする事なく、選ばれた人々を救われるのです。人々に救いを耐えるために罪を贖い(制限的贖罪)、選ばれた人々を聖霊が新生し、御自分に引き寄せる事で救いの恵みを与え(不可抗的恩恵)、救われた人々は最後まで耐え忍ぶのです(聖徒の堅忍)。救いは最初から最後まで、その全ての部分が神の働き–モナージズム–なのです。重要なのは、実際に選ばれた人々が救われてるという点です。ローマ8:28-30を見てみると、神の「ご計画に従って召された人々」は「神を愛する人々」であり、29-30節であらかじめ知られ、あらかじめ定められ、召され、義と認められ、栄光を与えられたと書かれています。神こそが御自分が選ばれた人々を救いに導かれるのです。

シナージズムを理解するためにThe five articles of the remonstranceを見てみましょう。「神は、御子イエスキリストにある永遠、不変の御計画によって、世界の基の置かれる前に堕落し、罪に汚れた人類の内から、キリストにより、キリストのために、聖霊の恵みを通して、御子イエスを信じ、終末まで従順に信仰に耐え忍ぶ者を定められ、一方頑なで不信仰な者を罪と御怒りの元に置かれ、キリストから切り離された者として、ヨハネ3:36に『御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。』とあるように裁かれるのである」(FAR, Article Iの訳)

上に書かれているのは、救いは個人の信仰と堅忍という条件があるという事です。条件的選びは救いを、人類の、イエスを選び、イエスにとどまる力によって左右します。

アルミニウス主義者は私たちのイエスを受け入れる力は神が全世界に与えた、堕落の力を相殺し、イエスを受け入れるか拒絶する力を与える恵みによると言います。つまり、神の働き抜きでは救いは不可能であるが、最終的に救いを受け入れるかどうかは私たち次第という事です。上のFARの記事が用いている聖書箇所は、信じる者は皆永遠の命を受け、イエスを信じない者は命を受けない事を教えていますから、この見解も非聖書的とは言えません。よってシナージズムは神が救いを可能にし、私たちの行動が救いを実現するのです。

ですから、モナージズムは神が救いのわざを完了されるという教えである一方、シナージズムは神が救いを可能にし、救いの実現は人間次第という教えであり、人間の自由意志と神の働きが救いのわざを完了するのです。論理的に見ているとシナージズムの教えには欠陥-神が実際に誰も救っていないという事-がある事がわかります。シナージズムは人類に救いを実現するという責任を持たせます。神が実際に誰も救わないならば、誰も救われないという事も可能なのです。神が実際に誰も救わないならば、ローマ8:28-30のような聖書箇所はどう説明すればいいでしょうか?この箇所のギリシャ語の単語はアオリスト/直接法であり、これらの動作は過去にすでに行われたという事を指しているのです。神からの視点では、救いはすでに完了しています。FARのArticle 5は神の恵みを受け入れた者はその恵みから離れ、「この邪悪な世界に戻り」、「恵みを失う」ことが可能であると教えています。この教えもまた、聖徒の堅忍という聖書の教えから外れた物です。

それでは、条件的選びを教えている聖書箇所についてはどういうべきでしょうか(ヨハネ3:36)?信仰が救いに必要な事はもちろんの事ですが、信仰は救いの順序の中で、どこに来るのでしょうか?ローマ8:29-30をもう一度見てみると、救いが順序立てて紹介されています。信仰によって義と認められる事を意味する信仰義認はこのリストで、予知、予定と召しの後に4つ目に紹介されています。召しは大きく4つに分ける事ができ、それは新生、伝道、信仰と悔い改めです。つまり召しとはまず聖霊によって生まれ変わる事によって始まり(ヨハネ3:3)、次に福音を宣べ伝える事(ローマ10:14-17)、そして信仰と悔い改めによって成就するのです。しかしながら、これらの事が起こる前に、神が私たちをあらかじめ知り、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められる必要があるのです。

それでは神の予知とは何を指しているのでしょうか?アルミニウス主義者は皆神が選ばれる人々のやがて持つ信仰についての知識と教えています。それでは、神が私たちを選ぶ理由は神御自身の「みむねとみこころ」ではなく、私たちが、堕落した、ローマ8:7で書かれているように神の律法に「服従できない」性質を持って神を選ぶ事を理由とする事になります。アルミニウス主義の予知はまた上の、無条件的選びを教えている箇所(エペソ1:4-5; ローマ9:16)とも矛盾しています。つまりこの見解は神の統治を否定し、救いを実現する責任を、堕落した、神を拒絶する性質を持っている人類に押し付けるのです。

理論的観察と聖書的観察の結果、モナージズム的救い-神が救いの創始者であり完成者である(ヘブル12:2)-の方が正しいという結果になります。私たちのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださる(ピリピ1:6)のです。モナージズムは私たちの救いの見方を変えるだけでなく、私たちの伝道の見方も変えます。救いが神の恵みの働きにのみもたらされるのならば、私たちが高慢になる事は不可能であり、全ての栄光は神に帰させるのです(エペソ2:8-9)。さらに、神が実際に人々を救われるならば、私たちの働きは実を結ぶはずです、それは、神が自らが選ばれた人々を実際に救われるからです。モナージズムの方がさらに神に栄光を帰するのです。

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