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断食と祈りでは教会の荒廃を解決できない理由

ここ数年の間、リン・ケは教会を活気付けて兄弟姉妹ならびに自分自身の信仰を強めるために数えきれないほど断食を行い、そして祈りを捧げました。にもかかわらず、彼女は主の存在と御導きをずっと実感できずにいます。彼女はどうして神が彼女の祈りを聞いてくださらないのか理解できませんでした。彼女の断食と祈りに敬虔さが足らないということでしょうか?リン・ケはこの断食と祈りの問題について困惑したまま、川岸のパビリオンの中に座ってぼんやりと空を見つめていました。彼女は同僚のシャオ・ジンに2回呼ばれてやっと気が付きました。心配するシャオ・ジンに対し、リン・ケは苦笑して答えました、「ここ数年、私の通う教会の状態が悪化しているんです。私自身もとても弱気になっています。今回なんて断食と祈りを4日も続けて行ったんですよ。に

カトリックの信仰:私はやっと神の御名の裏に隠された秘密が分かりました (II)

ヤン兄弟は続けてこう言いました。「神は私たちをサタンの束縛から完全に救い出して神の御国に導くことを望んでおられます。しかし、主イエス様が恵みの時代になされた贖いの働きはただ私たちの罪を許すためだけのものでした。私たちの罪深い本質は依然として私たちの内に深く根を張っているため、私たちは未だに主に逆らい、抵抗する自分を抑制できずにいます。私たちは罪を犯してはそれを告白するという悪循環の中を生きていて、まだ天国に入るにはふさわしくないのです。これを理由に、終わりの日の全能神は私たちの堕落した性質を変え、清めるために、主イエス様の働きを土台にして新たな裁きの段階の働きをされたのです。これは、私たちが罪の束縛を完全に脱却し、心から神に従い、神を愛する人となり、そして神の御国に入って永遠に神と共に生きる

聖書の中の麦と毒麦との区別は何か

わたしが言ったように、サタンは、わたしの経営を妨害するために、わたしのために奉仕する者たちを送った。これらの効力者は毒麦であるが、小麦は長子たちではなく、むしろ長子たちではないすべての子らと民を指す。小麦は常に小麦のままであり、毒麦は常に毒麦のままである。これは、サタンのものである人々の本性は、決して変わることがないことを意味している。要するに、彼らはサタンのままである。小麦は子らと民を意味する。なぜなら、世界創造の前に、わたしはこれらの人々にわたしの素質を加えたからである。以前わたしは、人間の本性は変わらないと言ったので、小麦は常に小麦のままである。「キリストの初めの言葉」の「第百十三章」より彼らがどのようにして試されるとしても、心の中に神が存在する者の忠誠は変わることがない。しかし、心の

神の最新の働きを知り、神の歩みに従え

現在、あなたがたは神の民になることを追い求め、正しい道への全面的な入りを始めるべきである。神の民になることは、神の国の時代へ入ることを意味する。今日、あなたがたは神の国の訓練へと正式に入り始め、あなたがたの未来の生活は以前のように怠慢でいい加減なものではなくなる。以前のように生きるならば、神が求める基準に達することはできない。緊迫感がないのであれば、それはあなたに自分を改善する願望がなく、あなたの追求はまごつき混乱しており、あなたは神の旨を満足させられないことを示している。神の国の訓練に入ることは、神の民の生活を始めることを意味する。あなたはそうした訓練を受け入れる覚悟があるか。緊迫感をもつ覚悟があるか。神の鍛錬の下で生きる覚悟があるか。神の刑罰の下で生きる覚悟があるか。神の言葉があなたに臨

再臨のメシアが現れた。私たちはどのように探すべきか

クイックナビゲーション 主が雲に乗って降臨されるのを座して待つことで、神様の出現を見ることができるのか 神様の出現をどのように探し求めるか 神様は既に現れて働かれ、あなたは神様の声がわかったのかここ数年、地震、飢饉、疫病などの災害がますます多くなり、聖書の中の主の再来に関する預言は既に実現され、真心で主の出現を切望する多くの兄弟姉妹は、主が戻られたかもしれないと感じています。しかし、なぜ今、私たちはまだ主を迎えていないのか。主はいったいどこにおられるのか。私たちはどのように主の出現を探し求めるべきか。この話題に言及したら、ある人は、今主はまだ戻られていないので、探し求める必要がない、なぜなら聖書にはこう書かれています。「そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろ

神に祈るとき、この3つの点を理解することはとても重要です

兄弟姉妹の皆さん:主にあって平安がありますように。私たちクリスチャンにとって、祈りは神様との正常な関係を築くために重要です。特に朝夕の祈りは重要です。ですから、どのように祈るかを学ぶことは非常に重要なのです。けれども多くの兄弟姉妹が戸惑いを感じます。私たちは朝晩毎日祈り、食前の感謝と食後の感謝、集会でも祈ります。祈るときにはいつでも、主に多くを語り、長時間祈ります。けれども、あたかも神様はそこにはおられないかのようにいつも感じています。祈りながら、まるで独り言をいっているかのように感じ、心に平安や喜びを感じることができません。なぜ神様は私たちの祈りを聞いて下さらないのでしょうか。神様に称賛していただけるように祈るにはどうしたら良いのでしょうか。実は、神様が私たちの祈りを聞いて下さらない理由が

聖書とはどのような書物か、どのように形成されたか、あなたは知っているのか

神の御言葉による答え:旧約に記録されている事柄はヤーウェのイスラエルでの働きで、新約に記録されているのは恵みの時代のイエスの働きである。これらは神が二つの異なる時代に行った働きを記録している。旧約は律法の時代の神の働きを記録している。だから、旧約は歴史的な書物で、新約は恵みの時代の働きの産物である。新しい働きが始まると、それも時代遅れになった。そういうわけで、新約もまた歴史的な書物である。もちろん、新約は旧約ほど組織だったものではないし、それほど多くを記録していない。「聖書について(1)」より恵みの時代の前、人々は聖書を読んだが、当時は旧約しかなかった。新約はなかった。旧約聖書があったので、人々は聖書を読み始めた。ヤーウェの導きが終わると、モーセが創世記、出エジプト記、申命記などを著した。モ

カトリックの信仰:私はやっと神の御名の裏に隠された秘密が分かりました(I)

神は律法の時代にヤーウェという御名を、恵みの時代にはイエスという御名を使われました。そしてヨハネの黙示録には、神がまた他の新たな御名をお使いになることが預言されています。神はどうして御名をお変えになるのでしょうか?私はこの真理を理解していなかったため、主イエス様が再臨されるとは殆ど思っていませんでした。しかし、私はしばらく探求と調査をした後、ついに神の御名の裏に隠された秘密を理解して、主イエス様の再臨をお迎えすることができたのです。2017年9月、私の友人は説教をしていただくためにヤン兄弟を招待しました。その日、私は予定よりも早く指定の場所に行き、全員が挨拶をし終えた後、私たちは聖書の勉強会を始めました。ヤン兄弟は神が人類のためになさる救いの働きについて交流し、聖書の内容もまとめて話してくれ

クリスチャンの霊的な虚しさを感じた時はどう解消すればよいでしょうか

近頃、私は心の中がいつも虚しく感じます。以前は金欠だからとか、地位が低いからだと思っていました。しかし、ここ数年の間にこういったものは手にしたのですが、それでも虚しさが晴れません。私は頻繁に主に祈るのですが、それでもこの気持ちは心の中で毎日のように膨らんでいきます。そして、この気持ちに対する不安も増す一方なんです。私はどうしたら良いでしょうか?どうぞ宜しくお願いします。ヌオ イェンよりヌオ イェンさんへ正直なところ、霊的な虚しさに不安を感じているのはあなただけではありません。これは社会全体に言えることです。多くの人々が、これはお金が足らない、地位がない、不安感、不幸な家庭などが原因だと信じています。そして、この状況を変えようと、彼らは慌てて汗水流して働きます。昇進してお金持ちになってより幸せ

信仰を通して救いを得た人は天国に入れるのか

ウィルスの感染拡大は留まることを知らず地震、洪水、虫害、飢饉も始まっています。多くの人が絶えず不安を感じ、信者は雲に乗って降臨した主により天に引き上げられ、災難の苦しみから逃れ、死を免れる日を、心待ちにしています。自分たちがなぜいまだに引き上げられて主と対面していないのか理解できず、何もわからずただ空を見上げています。多くの人がひどく心を痛めています。教会の聖職者たちが感染症によって命を落としているのを目の当たりにして、自分たちは神に見捨てられ、災難に陥ったのではないか、自分たちは生きのびられるのかと不安を感じ、途方に暮れています。黙示録の預言に、主イエスは災難の前に降臨し、人が災難に陥らないよう、天に引き上げるとあります。それが人の望みです。人の信仰は災難を逃れ永遠のいのちを得るため。しか

一生懸命働くことは神の御心に従っているということなのか

春雨の降り続く日、ヂャオ・シュンは飛行機で中国からアメリカへと出発しました。飛行機はニューヨークの空港に着陸しました。ヂャオ・シュンが荷物を持って空港のターミナルを出ようとしていた時、後ろから聞き覚えのある声が聞こえました。「あれ、ヂャオ・シュン兄弟じゃないですか?」スーツ姿の中年男性がヂャオ・シュンのところにやってきました。ヂャオ・シュンは興奮した様子で言いました。「ああ、ジム兄弟! アメリカで会うなんて、奇遇ですね」そして二人は車の中に座って話しました。ジムは言いました。「時間が経つのは早いなあ! 2年があっという間に過ぎてしまったね。中国で宣教していたんじゃないのですか?どうしてこちらに?」「残念ながら、中国は無神論の国ですから。中国共産党政府は宗教の信仰を抑圧して、迫害するし、三自教

聖書の勉強会で受けた良い知らせ (I)

寄稿家:チェンシャン(米国)現在、兄弟姉妹の多くは偽キリストに騙されることを懸念して、軽い気持ちで説教を聞かないようにしています。しかし、このように心を閉ざし、自分の殻に閉じこもってしまうと、私たちのいのちの成長が遅れてしまい、主をお迎えする機会を逃し、最終的には主から見捨てられてしまいます。実際、偽キリストを見極めるための原則を理解してさえいれば、自然と彼らに騙されることはありません。聖書の勉強会に参加した後、私は偽キリストを見極めるための原則を理解しただけでなく、良い知らせまで受けました。2018年3月、リー姉妹と私は弱気になっていた姉妹を訪ねに行きました。この姉妹の家に着くと、そこにはたまたま彼女の姪もいました。お互いに自己紹介した後、私は彼女の姪であるチェン姉妹も主の信者であることを

主のために懸命に働くことは主を愛しているということなのでしょうか

10月のある日、兄弟ヤンと私がヤン村に福音の伝導に出向いた時、私たちは水田を通りかかり、村民たちが炎天下で米の収穫をしているのを目にしました。私は思わず止まってこう考えました:「うちの米も収穫するべきだなあ。うちの奥さんは一人でできるかな?」その時、兄弟ヤンは私の胸中を察したかのようにこう言いました:「兄弟ウェン、お宅の米も収穫できるころではないですか?あなたのように家族を残して何年も福音を伝導できる人を見るのは本当に稀なことです!」私はかすかに笑みを浮かべてこう言いました:「主なる神様に感謝です!兄弟ヤン、私はあなたとお話したいことがあります。私は最近この疑問について考えているんですよ:ここ数年、私たちは主のために懸命に働き、主のために家族を残し、仕事を諦め、あちこちで主の福音を伝導し、否

ディボーションノート-聖書の中身は全てが神の御言葉なのでしょうか

聖書はクリスチャンの正典、私たちの信仰の基礎です。私たちは主を信仰しているので、それぞれが聖書を持っています。私たちは頻繁に聖書を読み、宝として大切にしています。また、私たちは生活と仕事における最も重要な基準として、聖書の御言葉に従います。パウロはかつてこう言いました:「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」(テモテヘの第二の手紙 3:16)。これには、聖書は全て神の霊感を受けて書かれていると、より一層考えさせられます。しかし、聖書にはサタンの言葉や、ロバがバラムに言ったとされる言葉も含まれていると言う人々がいます。明らかに、それらは神の御言葉ではありません。私はこの事柄について、自分の考えを話したいと思います。兄弟姉妹の多く

4つの原則を把握したら、あなたは誠実な人になれる

午後の日光が窓を通して斜めに差しこんでいます。わたしは机の前に座り、暖かい日光を浴びていて、とても気持ちがよいです。今、わたしは心ゆくまでブログを書いて、皆さんとわたしのこの間の豊かな収穫を分かち合いたいです。主を信じたばかりの時、わたしは「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」(マタ18:3)という主イエスの言葉を読みました。主イエスのこの言葉は天の国に入るための基準を明らかにしました。それによって、わたしは単純で愛らしい誠実な人だけが主に良しとされることができ、天の国に入る資格を持つと分かりました。主の御心を理解した後、わたしは現実生活の中でいつも自分の舌を戒めて、自分がうそを言わないようにし、神の考えるような誠実な人になるための実

神の御言葉は本当に聖書以外には存在しないのでしょうか (I)

私は16歳の時、主の信仰を始めました。当時、私は教会に足を運ぶ度に心がとても穏やかになりました。特に、神を称賛する讃美歌を耳にした時は喜びを感じ、主の愛情にしばしば感動させられていました。これ故に、私は両親からどのように妨げされても教会に通い続けたのです。聖書を読んでいると、神は人類を救うためにたくさんの働きをなされ、更に、神は私たちを罪から贖うために、自ら十字架に釘付けにされて罪の捧げものになられたということを、私は少しずつ理解していきました。そして、主イエス様は終わりの日に再臨されて私たちを天国に引き上げてくださるとお約束されたのです。従って、私の信仰はさらに厚くなり、私は神に必ずついて行こうと決心しました。私は大人になった後、熱意をもって真理を追い求め、積極的に教会の事務業務を担い、さ

神と人は共に安息に入る

はじめ、神は安息の中にいた。その時、地上には人類も他の何物もなく、神は何も働きをしなかった。人類が存在するようになり、さらに人類が堕落してしまった後、神ははじめて経営(救い)の働きに取りかかった。その時から神はもう安息せず、人類の間で忙しく働き始めた。人類が堕落したため神は安息を失い、また大天使が裏切ったため神は安息を失った。もしサタンを打ち負かさず、堕落した人類を救わなければ、神は二度と再び安息に入ることができない。人に安息がないので、神にも安息がない。神がもう一度安息の中に入る時、人も安息の中に入る。安息の中の生活とは、戦いも汚れも、継続する不義もない生活である。言い換えれば、そのような生活には、神に敵対するいかなる勢力の侵入もないだけでなく、サタン(サタンとは敵対する勢力を指す)による

真のキリストと偽キリストの見極め方

信仰ステーションの兄弟姉妹たちの皆さんへ、こんにちは!私の名前はリ・リと言います。私は家庭教会を管理している指導者です。私たちはある者が主イエス様は既に再臨されていると説いているのを耳にしました、しかし聖書では主イエス様は、「そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。」 (マタイによる福音書24:23-24)、と仰っておられます。これらの御言葉から、主が再臨なさる時にはありとあらゆる偽キリストと偽預言者が信者たちを欺くために現れることが理解できます。それ故に、私たちは偽キリストに騙されるのが怖くて、探求や調査

天国に行く条件とは何ですか

クイックナビゲーション 苦労して働いて天国に入れるのか 天の父の御旨を行うこととは何か どのようにして天国に入ることができるのか「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。」(テモテヘの第二の手紙4:7-8)多くの人はパウロのこの言葉によって、主のために説教をして、労力を費やすことでパウロを見習いながら、休むことなく働いていれば、主が再臨される時に直接天国に引き上げられると考えています。人の目にはこのように実践することは正しく映り、誰もそれには反対しません。しかし、これは神の御心には適っているのでしょうか?「主イエス様

キリスト教にはどうしてそんなに沢山の宗派があるのでしょうか

主イエス様が働きをするために自ら地上に来られた時、主を信じた人々は皆、主の御名に服しました。使徒たちはあちこちで福音を伝道し、主イエス様の救いを受け入れて主の御名に服した兄弟姉妹全員を集め、キリストのうちで1つにしました。信者はその当時、イエス・キリストにのみ従っていました。それはこの聖句にも記されています、「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。」(エペソ人への手紙 4:5-6)。従って、使徒たちの生きた時代には異なる宗派は現れませんでした。終わりの日が到来しました。主の信者たちは皆、同じ神を信仰し、同じ聖書を読み、誰もが主の教えについて語ります。しかし、主の信者たちの間で、2000

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Emmanuel

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