「次いで、彼はわたしを神殿に導きいれ、脇の柱を測っていった。・・・それからその長さを測った。二十キュビトであった。その幅は、神殿の前で二十キュビトであった。そのとき彼はわたしに言った、『これが至聖所である』」(エゼキエル41:1,4)
エゼキエルはバビロンに流刑になって二十五年目に、「非常に高い山の上に下ろされ」、そこで、壁で囲まれた境内の中にある神殿の幻を見ました。(エゼキエル40:1,2;41:1)エゼキエルの幻の神殿は、何を表していたのでしょうか。
エゼキエルは、その外見が「銅のよう」な人を見ます。その人は、手に「亜麻の綱と、葦の測りざお」を持っており、エゼキエルに示した事物の寸法を測ってみせました。外見が銅のような人は、おそらくみ使いでしょう。(ダニエル10:6,12-14。エゼキエル40:3,5)み使いが神殿や神聖な事物を測ってみせたのは、それが表している事物がどのくらいの規模のものであるかを有形のもので示すためだったでしょう。(ゼカリヤ2:2)
この神殿で奉仕するレビ人は、エホバから「遠く離れて行った」と述べられています。(エゼキエル44:10)このことから、エゼキエルの神殿の幻が成就する時代が、今の事物の体制が続いている間であることが分かります。なぜなら、千年王国の期間中は、神の民はエホバに対して不忠節になって離れることはないからです。
エゼキエルは、この神殿が「非常に高い山の上に」あったと述べており、イザヤは、「末の日」に、「エホバの家の山」がもろもろの山の頂よりも高くなることを預言しました。(エゼキエル40:2。イザヤ2:1,2)ですから、このエゼキエルの神殿に関する幻も、末の日つまり、私たちの時代に成就することでしょう。、エゼキエルのこの幻は、エホバへの崇拝の復興を預言しているように思われます。
神殿の境内全体は一辺が500キュビトの正方形だったようです。(エゼキエル45:2) “普通”キュビトよりも一手幅(7.4センチ)長い約51.8センチの長キュビトがエゼキエルの幻の神殿の寸法に用いられていたようです。葦の測りざおの長さは6キュビトでした。(エゼキエル40:5)それで、葦の測りざおの長さは約3.11メートルでした。そして、エゼキエルは神殿の周りの各々の壁の長さは500さおであったと述べていますから、神殿の境内の一辺の長さは1,555メートルであったことが分かります。
ミシュナによれば、ヘロデ王の“神殿の山”の面積は500キュビト(223メートル)平方であり、このエゼキエルの神殿の面積は約241.8万平方メートルですから、この神殿は過去に実際に存在した神殿よりもずっと大規模なものであることが分かります。このことは、将来、エホバへの崇拝の組織的な取り決めの復興が非常に大きな規模になることを示していると思います。
その境内には神殿(エゼキエル41:1)、至聖所(エゼキエル41:4)、祭壇(エゼキエル40:47)、食堂(エゼキエル40:17)があり、外の中庭(エゼキエル40:17)と、奥の中庭(エゼキエル40:17,47)がありました。
エゼキエルの神殿の祭司たちが、「ザドクの子ら」と呼ばれていることは、何を示唆するでしょうか。(エゼキエル40:46)ザドクはダビデ王と特に近い関係にあった祭司でした。(サムエル第二8:15,17)ザドクは、ダビデの息子アドニヤが王位を奪取しようとした時それを支持した祭司アビヤタルとは違い、終始一貫してダビデの王権を忠節に支持しました。(列王第一1:7,8)ですから、祭司たちが「ザドクの子ら」と呼ばれていることは、他の神の民がエホバに不忠節になった時に、エホバへの崇拝に堅く付き従った油そそがれたクリスチャンがいることを示しています。
また、エゼキエル書の中でも、イスラエルの子らやレビ人に関しては、「その糞像を慕ってさまよった」と述べられています。(エゼキエル44:10)一方、「祭司,すなわちザドクの子らの中から神聖にされている者たち」は、「イスラエルの子らがさまよい出たときに、レビ人たちがさまよい出たようにはさまよい出なかった者たちである。」と述べられています。(エゼキエル48:10-11)このことからも、祭司級の中には、神の民が全体として偶像崇拝に陥っていた時に、エホバに忠実を保つ者がいたことが分かります。
そして、ザドクの子らの祭司たちは、エホバへの崇拝を再開しているようです。エゼキエル43章の中では、彼らは祭壇のために贖罪を行なって、「使い始め」をしなければならないと述べられています。そして、祭壇を清めた後、祭司たちによって、祭壇の上で再びエホバの犠牲が捧げられるようになります。(エゼキエル43:26,27)
そして、エゼキエル45章でも、祭司たちは、聖なる所を動物の犠牲を捧げて浄め、エホバの正しい崇拝が再開されるように取り計らっています。(エゼキエル45:18-20)エホバは荒野の会見の天幕で祭壇の上で動物の犠牲をささげさせることによって、ご自分への崇拝を始めさせました。(出エジプト29:35,36,44)
このことから、エゼキエルの神殿の幻は、末の日に神の民が全体として偶像崇拝に陥ってしまって後、エホバへの崇拝が復興する時に成就するのではないかと思います。
聖書の他の預言書の中にも神の民がエホバに対して忠節を保つことに失敗することが預言されています。ダニエル8章には、小さな角が「飾りとなる所」を攻撃して、エホバから、「常供のものが取り去られ」ることが預言されています。(ダニエル8:9,11)そして、「違反のため」、真理が地に投げつけられるとも預言されています。(ダニエル8:12)しかし、「聖なる場所は必ずその正しい状態され」ます。(ダニエル8:14)ですから、ダニエル8章の中でも、エホバへの崇拝と奉仕が妨げられること、そしてその後、真の崇拝が回復することが預言されています。
また、ダニエル11章の中でも、北の王が「飾りの地」に入り、「多くの土地がつまずきに渡される」ことが預言されており、その後、神の民の拠点が、「聖なる飾りの山」に移っています。(ダニエル11:40,41,45)
ですから、エゼキエルの幻の神殿は、北の王の攻撃のために、全地におけるエホバへの崇拝と奉仕が組織的に捧げられることが一時的にできなくなった後に成就するのではないかと思います。聖書は、クリスチャンが山に逃げた後、エホバへの崇拝が再び確立されることを預言しているようです。
エゼキエルの神殿の預言は、エホバへの崇拝が復興することを示していますから、このことは、全地におけるエホバへの崇拝が世界的な迫害によって一時的に途絶する時が来ることを示唆しています。(マタイ24:9,13)しかし、私たちは、エホバへの崇拝を忠節に支持し続けたザドクの子らの祭司のようでありたいと思います。それで、全世界でエホバへの崇拝が一時的に妨げられることが起きてもそれに驚くことなく、聖書の正確な知識を取り入れ続け、それを当てはめて、最善を尽くしてエホバのへの崇拝を続行したいと思います。
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