幸せは選択である」
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、
‘幸せは選択である’ということについて考えてみました。前回は、
‘人生は選択である’というテーマで、自分の人生は自分が自由に選び、決めることができるということを書きましたが、今回は、自分の感情も自分が選び、決めることができるということで、幸せもまた自分の選択であるということを考えてみます。神が人間に与えられた素晴らしい賜物の一つは自由意志です。自由意志がなければ人間は動物のように本能という枠の中でしか生きられなかったはずです。しかし、人間には自由意志が与えられているので、すべてのものを自分で「選択」する自由と特権があるのです。この選択の自由は、人間の心の力を最大限に発揮させる強力な道具であり、素晴らしい技、また優れた癒しの手法でもあります。
‘幸せは選択である’と言われるとおり、幸せは誰かがそうしてくれたのではなく、あなたが自分で選んできたもの、また不幸も誰かがそうしたのではなく、あなたが自分で選んできたことの結果、そして今まであなたが生きてきた人生も、すべてあなたの選択がもたらしてきた結果なのです。
確かに人生には不慮の出来事もありますが、人生の多くの場面で選択があったことは確かです。就職、進学、結婚、離婚、様々な場面で選択がありました。もっと細かく見れば、毎日たくさんの選択をしています。そして、その選択には結果が伴い、あなたはその結果を刈り取るのです。さて、行動の選択だけでなく、人間には感情の選択という自由があります。たとえば、誰かに嫌な事を言われれば嫌な気分になります。そこで、あなたは怒るという選択か、赦すという選択をします。どちらの選択もあなたの自由ですが、その結果は大きく違います。そして、その結果を選んでいるのはあなた自身ですから、その責任も本当は自分にあると認めることが、自分の心を育て、幸せで豊かな人生を送る重要な要素です。 人間の心には、受容と抵抗という二つの基本姿勢があります。受容とは、状況や人や自分をそのまま受け容れることで、抵抗とは、それらを拒絶することです。そして、受容には平安や喜びや満足が伴い、抵抗には怒りや憎しみや不満が伴うのです。受容する心を育てるには、今自分が受容できないものを知り、それをそのまま受け容れることが最初のステップです。今の自分がどこまでを受容でき、どこが限界で、どこからが受容できないのかを知り、そういう自分をそのまま受容するのです。ところが、そうは言ってもなかなか受容できないこともあります。受容できない自分を認めるのは、敗北感を感じるものです。ですから、受容できないのは、そうしたネガティブな感情を感じたくないからで、心の中に受容できるスペース(余裕)がないのです。ですから、心の中のネガティブな感情を解放し、空きスペースを作ることが受容の心を増す方法です。この心の中のネガティブな感情は、誰かにそういう自分を受容してもらうことによって解放されていきます。こうしてネガティブな感情から解放されることで、受容できない自分を受容する余裕と客観性が養われ、それによって人や自分や状況をありのままで受け容れる受容の心が養われ、不平不満や愚痴を言わない、幸せを引き寄せる人になれるのです。
今日の一言: 受容の心を養おう鶴田健次
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