神学のやや込み入った話になると、よく目にする言葉がある。自由主義、保守主義、敬虔主義、福音派など。小難しそうだが、自分の信仰の立場を客観的に知ることは大切である。C・F・ヴィスロフ『現代神学小史』を読めば、新書並みの手軽さで、近代以降の神学思想が押さえられる。ここでは、福音派での評価はいまいちだが、日本のキリスト教界では人気があるカール・バルトについての解説を読んでみよう。〈編集者M〉
『ローマ書講解』
十九世紀の神学は、すでに見たように、体験と価値判断から出発した。それは当然のことながら、人間中心である。自由主義神学は、人間の理性と倫理性に信頼をおいた。保守主義は、人間の宗教体験、あるいは人間の敬虔さを強調した。いずれの場合も、出発点は共通して人間である。……対して、バルトは「神のことば」を主張する。神のことばは、「上から垂直に」与えられるのである。そこでは、人間の体験や価値判断は用をなさない。敬虔主義と自由主義に対するバルトの批判は、「神と人間との無限の質的差異」の主張から必然的に生じるものである。
……バルトは自由主義神学に対して、徹底して戦った。神の絶対性と尊厳を、人間の限界を、そして何よりも、キリスト中心の教理を明確にした。……それでもわれわれは、バルトの教説の中心となった「神のことばの神学」の意味について考えねばならない。
「神のことばの神学」の意味
「神のことばは、啓示されたことばである」とバルトが言うとき、それは一つの「出来事」を示している。すなわち、聖書が神のことばの「証言」として読まれ、神がここで今、その人に語りかけられたとき、まことに聖書は「神のことばとなる」のである。
……聖書が「神のことばである」ことに疑いはない。……ところが、バルトにおいては、事は逆である。神に喜ばれる時と所において、聖書は初めて「神のことばになる」のである。
―「神のことばである」「神のことばになる」。ほんの小さな差異に見えて、実は大きな違いとなってくる。詳しくは本書にて。
『現代神学小史』
C・F・ヴィスロフ 著
鍋谷堯爾・勝原忠明 訳編
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Emmanuel
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