キリスト者学生会(KGK) 副総主事
塚本良樹
一般論として、人は「自分と違う」存在―言語、見た目、文化、あるいは年齢、教理、礼拝スタイルが異なる人々と一緒に過ごすとき、ストレスを感じるものです。比較、偏見、恐れが引き起こされることもあります。「自分と違う」と感じる人々と一緒にいることは不快なのです。だからこそ私たちは、無意識に「同じような」人たちと一緒にいるようにします。もちろん、同じような人たちとあえて一緒に過ごして癒やされることも、伝道することも大切です。しかし、それだけであれば、教会は広がっていかないのです。
使徒の働きにおいて、聖霊なる神は、教会の境界線を越え、「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで」拡大させました(1:8)。それにより、「自分と違う」キリスト者が教会に加わり、教会は不快な場所となっていきました。
教会が、サマリア人、異邦人にまで拡大していったのは、「危機」があったからでした。迫害により、強制的に「散らされ」なければ(使徒8:1〜4)、つまり危機がなければ、ずっと教会はエルサレムにとどまったままだったかもしれません。確かに、日本の教会も、教派を超えて最も協力することができたのは、東日本大震災という未曾有の危機のなかでした。
もちろん、危機は避けたいものです。避ける努力はすべきでしょう。しかし、それでも危機は起こるものです。そして、私たちに罪がある以上、極限の状況にまで置かれなければ、快適さを諦めてまで「自分と違うもの」を受け入れることは難しいように思うのです。
現在、日本の教会は危機的な状況にあります。これまでも危機はありました。しかし現在、多くの教会においては誰の目にも明らかな危機があります。教会に、次の世代を担うはずの若者たち、子どもたちがいません。若い牧師がいません。かつてよりも人口的には減っているとはいえ、教会の外にはたくさんの若者、子どもたちがいる以上、少子高齢化は言い訳になりません。
私たちの目の前には危機が存在しています。その危機を見て見ぬふりをするならば、私たちはこれまでと変わらず、不快さに耐えられず、境界線を越えられず、「自分と違うもの」を受け入れられないままでしょう。逆に、私たちが目の前の危機に真剣に目を向けるなら、「自分と違うもの」であっても謙遜に助けを求め、また愛をもって助けるようになるでしょう。聖霊なる神は、危機を用いて、教会を成熟させ、広げられるのです。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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