連載 ひきだしの中の信仰 第4回 わたしの罪を纏う方

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

イラストと ことば
林 くみこ
グラフィックデザイナー。「よきおとずれ」を運び、互いに祝福し合うために用いてください、という願いをこめて、聖書のメッセージやみことばからイメージしたイラストのポストカードをゆるゆる制作中。東京・奥多摩にあるクリスチャンキャンプ場・奥多摩福音の家スタッフ。

 

今月の聖句
ヨハネの福音書
12章 46節

 

洗礼を受ける数か月前に、宣教師夫妻と聖書を学んでいたグループで映画「パッション」を観た。映画館から教会に戻り感想を分かち合う中で「私の罪のために……」と泣いている人の純粋さに驚かされた。言葉に詰まり、絞り出したわたしの感想は「あんな酷い目に遭わされた人を見せられて『あなたのため』と言われても困る。頼んでないし、そんな責任は負いたくない」だった。
わたしはそういう人間で、今もさほど変わらないと思う。ただ、そもそも自分の罪の責任を負うことすらできないことを知った。自分の惨めさを隠すために、人を欺いたり傷つけたり、心を冷たくする。その一方で、神さまに向かって「惨めになりたくない」と訴えている。そんな自分の本性に直面した時、神さまから差し出された一方的な救いの方法(イエス・キリストの十字架)に頼るしかない者として、立ち尽くすしかなかった。
「Living Hope」(Phil Wickham)という賛美に The God of ages stepped down from glory to wear my sin and bear my shame (永遠の神は栄光から退いた 私の罪を負い、恥を忍ぶために)という一節がある。それを聴いて、主が十字架にかけられる時、嘲りとともに着せられた茨の冠とマントは、わたしの罪であり恥なのだと、言葉だけでなく出来事として見ることができた。目を背けることはできたとしても、自分ではどうすることもできない罪の惨めさを、救い主イエスさまは代わりに身に纏い、そこから自由にすると繰り返し語ってくださる。

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

Buy Now

bible verses about welcoming immigrants

Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

Blog
About Us
Message
Site Map

Who We AreWhat We EelieveWhat We Do

Terms of UsePrivacy Notice

2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.

Home
Gospel
Question
Blog
Help