ルカ文書への招待(2)

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

前回に引き続き、Equipper Conference 2016に向けたルカ文書の入門コラムとその補足をお送りします。

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ルカが語る福音の物語② 「ルカ福音書と使徒の働きの並行関係」

前回のコラムでは、ルカの福音書と使徒の働きはルカが書いた一つの長い物語(フィクションという意味ではありません)の前編と後編である、と書きました。

ところで、使徒の働きがルカの福音書の続編ということは、ただ単にルカは福音書で描いたできごとの続きを書き綴っていった、という以上の意味があります。ルカの福音書と使徒の働きの間には、もっと密接な対応関係を見ることができるのです。

まず、この二つの書はどちらも似たような構成を持っています。どちらもテオピロに宛てた序文から始まります(ルカ1:1-4;使徒1:1-2)。イエスと使徒たちは聖霊を受け(ルカ3:21-22;使徒2:1-13)、基調となるメッセージを語って(ルカ4:16-30;使徒2:14-40)から働きを始めていきます。イエスも使徒たちも、旅をし、奇跡を行い、迫害を受けます。そしてどちらの書も、そこで語られたできごとが旧約聖書の成就であることを示して終わっています(ルカ24:25-27、44-48;使徒28:25-28)。

要するに、ルカの福音書におけるイエスの描写と、使徒の働きにおける使徒たちの描写には並行関係が見られるということです。細かい部分では、たとえばイエスは中風にかかった男性をいやし(ルカ5:17-26)、ヤイロの娘を生き返らせました(ルカ8:49-56)が、ペテロも同じように中風のアイネヤをいやし(使徒9:32-35)、ドルカスを生き返らせました(使徒9:36-43)。ルカ文書を注意深く読むなら、このような例をたくさん見つけることができますので、皆さんも探してみてください。

ところで、なぜルカはこのような描き方をしたのでしょうか?おそらく、このようにイエスと使徒たちをパラレルに描くことによって、イエスが始められた働きが使徒たちに確かに受け継がれていることを示したかったのではないかと思います。イエスは復活後に地上を去って天に昇られますが、聖霊を受けた使徒たちはイエスの働きを継続していきました。それは神の国の福音を宣べ伝える、という働きだったのです(ルカ4:43;使徒28:31)。

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<ブログにおける補足>

ルカ福音書と使徒行伝の間に、コラムで書いたような対応関係があることは聖書学の世界ではよく知られています。福音書と行伝の対応関係は、このような並行関係だけでなく、いろいろな関係があります。(もっと詳しく知りたい方は、C・H・タルバート著『ルカ文学の構造:定型・主題・文学類型』などを参照してください。)

たとえば、福音書でイエスは弟子たちにこう語ります:

しかし、これらのあらゆる出来事のある前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう。 それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。だから、どう答弁しようかと、前もって考えておかないことに心を決めなさい。 あなたの反対者のだれもが抗弁も否定もできないような言葉と知恵とを、わたしが授けるから。 しかし、あなたがたは両親、兄弟、親族、友人にさえ裏切られるであろう。また、あなたがたの中で殺されるものもあろう。(ルカ21章12-16節)

イエスのことばどおりに、使徒行伝では弟子たちは迫害を受けて獄に入れられ(たとえば4章3節)、パウロは王や総督の前で証しをし(13章7-12節、26章1-29節)、知恵と御霊によって反対者を論破し(6章10節)、殉教していきました(7章57-60節、12章1-2節)。つまりここではイエスの預言とその成就という関係が見られるのです。

このように、ちょうどインターネットの異なるページの間にリンクが貼られていて、それをクリックすると別のページがすぐさま表示されるように、ルカの福音書と使徒行伝の間には無数のリンクが貼りめぐらされているのです。

その中で注目すべきなのは、イエスの昇天記事です。このできごとは、福音書の終わり(ルカ24章50-53節)と行伝のはじめ(使徒1章9-11節)に繰り返し描かれていて、二つの書をつなぐ蝶番のような役目を果たしています。そして、二部作のつなぎ目に繰り返されているできごとがイエスの昇天であることには、重要な意味があります。

イエスの昇天

ところで、実は旧約聖書にもこれと全く同じ構造を持つナラティヴがあります。それは1-2列王記に記されているエリヤ/エリシャ物語です。どちらのナラティヴも師弟間でミニストリーの継承がなされていく様子を描いていますが、その折り返し点では師(エリヤ/イエス)が天に挙げられ弟子(エリシャ/使徒)に対して霊が注がれます(2列王記2章、使徒2章)。この構造を図示すると次のようになります:

A. 師のミニストリー
  X. 師の昇天
A’. 霊の注ぎと弟子によるミニストリーの継承

(このテーマについてさらに詳しく知りたい方は、たとえばトーマス・ブロディの著作などを参照ください。)

しかし、ルカはその二部作を書いていた時に、本当にエリヤ/エリシャ物語を意識していたのでしょうか?そう思われる箇所があります。ルカ24章49節で、イエスは昇天前に、やがて弟子たちに聖霊が注がれることについて、こう言っています:

「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」(新改訳)

ここでルカは弟子たちが(聖霊の)力を「着せられる(endusēsthe)」という奇妙な表現をしていますが、これは2列王記2章でエリシャがエリヤに働いていた神の霊を受け継いだしるしとして、エリヤから外套を受け取ったこと(2列王2章13-14節)を暗示しているのかもしれません。

エリヤの昇天

ルカがエリヤ/エリシャ物語を意識して二部作の構成を考えたかどうかについては異論があるかもしれませんが、いずれにしてもコラムで語った要点は変わりません。ルカは福音書と使徒行伝を通して、さまざまな文学的技法を駆使しながら、イエスと使徒たちの働きの連続性を示そうとしているのです。

(続く)

 

 

 

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