to Our God - Bethel - Japanese - Lyric Video
(1)仏教の成立とその教え(2)インドでの仏教の衰退とチベット仏教が始まる 仏教の教えを理解するのにヒンズー教を理解すると助けになりますので、先回まとめた記事をお読みください。
(1)仏教の成立とその教え 日本では、仏教が支配的です。人口のほとんど大半が仏教徒だとされています。今日、仏壇を家に持つ人は少なくなっています。しかし、略式の仏壇は多くの家庭にあります。日本では、お葬式は通常仏式でします。そして、仏教の僧による死者の供養のために多額のお金が支払われることがよくあります。また、仏式の慰霊祭が頻繁に行われます。 仏教は、フィクションですが、有名な漫画家の手塚治虫が「ブッダ」という題名の漫画で取り上げました。日本では、諸外国と異なり、原始仏教の教えが案外信じられています。
Tezuka's Buddha on the shelf手塚治虫の漫画「ブッダ」
でも、日本は仏教の多くの宗派が仏陀の教えた仏教とは異なる教えになっていて独り歩きをしているように見えます。まず、仏陀がどのように仏教を創始したかをまとめます。◎仏教の成立とその教え 仏教は紀元前5世紀前後にインドでゴータマ・シッダールタ(仏陀)が始めました。仏陀はインドの豪族の家に生まれました。インドは、もともとヒンズー教が広まっていました。 仏陀はどうすればヒンズー教の教えの輪廻のサイクルから逃れることができるかについて考えて、仏教を創始しました。ですから、仏陀の教えの背後には、その教えを認めるにしても、否定するにしてもヒンズー教がありました。ですから、仏教を信じている人は基本、インドのヒンズー教を信じていると言えるかもしれません。
Lovell D'souza インドの仏陀像
◎仏陀が差し伸べた希望は実際には起きていない輪廻からの解放 仏陀は、結婚していましたが、息子が産まれた後、29歳で出家をしました。彼が出家をしたいと願ったのは、老人と、病人と、死人とを見て苦しみがあることを見たからだと言われています。また、彼は生きていることも苦しみだと考えました。 仏陀は、輪廻を信じていて、生まれ変わってさまざまな苦しみを経験し続けることを嫌悪したようです。彼は生きていることも苦しみで、悲観的に良くないことだととらえました。 それで、彼はそのために妻と生まれてまもない子供の子育てを放棄して、修行者として専念するために出家しました。 彼は当時のバラモン階級として修行に専念し、断食したり、瞑想にふけりました。彼は、カーストの一番上であるバラモン階級として生きることも苦しみであると考えました。 そして、彼は解脱するために生きている間に正しい生き方をしなければならないと教えました。彼によると、解脱とは、輪廻の永遠のサイクルから逃れ、もはや生まれ変わらないことを意味しています。 彼は、生存の苦しみはさまざまな欲望である煩悩や無知から生ずると教えました。それで、正しい考え方や行いによって欲望から超越した精神状態になれば、輪廻から逃れることができる涅槃の状態に入れると教えました。解脱とは涅槃の別の語です。 仏陀は、「パーリ仏典」の中で、「わが解脱は達成された。これが最後の生まれであり、もはや二度と生まれ変わることはない。」と語ったとされています。彼は、もう二度と生を享受しないことを良いこととみなしたようです。 仏陀は輪廻からの解脱する方法を教えました。しかし、実際、人類全体に輪廻は起きておらず、輪廻から離れる方法を模索する必要はなかったとわたしは考えます。 彼は、涅槃とは、完全な静寂、自由、最高の幸福の状態と教えました。しかし、仏陀は、不滅の霊魂を信じていませんでした。ヒンズー教の教えるアートマン、すなわち不滅の霊魂が存在しないと考えていたのです。 すでに説明したように、ヒンズー教ではアートマンは宇宙我ブラーフマンの一部だとみなしています。宇宙我ブラーフマンとは、創造神ブラフマーと同じです。ですから、ヒンズー教では、人間は、神の一部だと信じています。 アートマンという自我とはある仏教サイトでは、不滅の霊魂のようなものと説明されています。ですから、ヒンズー教では不滅の霊魂の存在を認めているようなものです。 しかし、仏陀は、そのヒンズー教の教えを否定しました。仏陀は、アートマンという自我はないと教えていました。仏陀自身は、輪廻を信じてはいたのですが、人間は、神の一部でもないし、人間は不滅の霊魂も持っていないと考えていました。それで、仏陀の教えは、両立しない互いに矛盾する教えがあるとも言えます。 彼は、輪廻から解放されることを至福だと考えていました。彼は実際、最高のカーストであるバラモンとして生きることでさえ、苦しみと考えました。それで、彼は、苦しみにしか過ぎない生きていくことから解放されるだけでなく、誕生、生、死の繰り返しである輪廻から逃れたいと考えていました。 ニルバーナとは涅槃、また解脱を意味します。ニルバーナとは、漢訳は、滅、寂滅、滅度、寂と訳されます。ですから、ニルバーナすなわち涅槃とは、滅びて存在しなくなることを意味してます。 そして、仏陀は、二度と、意識ある存在として生まれ変わることを望まなかったのですから、彼は、神あるいは仏に生まれ変わることも教えていませんでした。それで、彼の考えによると、最高の幸福な境地で死んで、輪廻から解放され、永遠の死に至ることが解脱で、望ましいことでした。
仏陀の悟りを民衆に宣べ伝えるように、梵天が現れて仏陀に促したので、彼は仏教を広めることにしたとされています。梵天とは、ヒンズー教の最高神ブラフマーで仏教の守護神と考えられています。
ですから、仏陀が自分に梵天が現れたと考えていたのであれば、彼は、ヒンズー教の神々の一部を、認めていたことになります。 それで、彼の差し伸べた希望というのは、誕生、生、死の繰り返しである輪廻から逃れ、最高の幸福な境地で死んで、永遠の死に至り、存在しなくなることになってしまいます。
これでは、仏陀の教えでは、死んでまったく存在しなくなることを最高で幸福なことだとみなしていることになってしまいます。ただ、最後に死ぬことが仏教によって差し伸べられている希望なのであれば、それは望ましい希望と言えるでしょうか。 そして、彼はヒンズー教に基づいて仏教を創始したので、死んで全く存在しなくなることによって輪廻から解放されるという希望しか差し伸べることができませんでした。
それで、現代の一般の仏教とは、仏陀が死んで仏になったとみなしているかもしれません。しかし、一般の人々が考えているのとは異なり、彼の考えには、死後に仏や神になるという教えは、見られません。彼は、生まれ変わって生き続けることを嫌悪したのです。 彼の死後、インドの人々は、仏陀の教えを調べて、仏陀がただ死んで存在しなくなることを至福であると考えていたことに気付いて、仏教を良い教えとは考えなかったのではないかと思います。そのために、一時期、仏教はインドではかなり衰退してしまって、彼の故郷でさえ、分からなくなった時期もあったようです。 しかし、仏教は、伝わっていったタイや、チベット、中国、韓国、日本などで幾らか姿を変えた教えで存続しました。 仏陀が死んで、仏、あるいは神になったと信じているのは、後世の人々が仏陀の教えをゆがめ、あるいは付け加えた教えです。仏陀の教えを受け継いではいません。
Buddha's Nirvana (絹本著色仏涅槃図, kenpon chakushoku butsunehan zu). Hanging scroll, 267.6 cm x271.2 cm. Color on silk. Located at Kongōbu-ji, Mt. Kōya, Wakayama, Japan
仏陀は彼の方法によって完全な静寂に入ってもう輪廻しないと教え神や仏に生まれ変わるということは教えなかった
◎仏教の諸行無常の教え 他にも、仏教では、「諸行無常」の教えがあります。それは、現象は刹那的で、一瞬に生滅するということです。また、人も死んだり、草木が枯れたり、水が蒸発したりのようにいつも生滅の移り変わる過程にあります。これは、仏教の中核の教えの一つだそうです。Wiki無常 この点では仏陀の教えは、実際には、聖書的です。聖書では、ソロモン王が、「何とむなしいことか! すべてはむなしい」と言っていました。 ソロモン王は何をむなしいと言っていたのでしょうか。彼は、「世代は去り、次の世代となる。」「誰も昔の人を覚えていない。」「賢い人も愚かな人も人の記憶にいつまでも残ることはない。月日がたつと誰もが忘れ去られる。」と述べています。(伝道の書1:2,4,11;2:16新世界訳改訂版) ですから、ソロモン王は人が生きて死んで世代が移り変わる過程がずっと続いていて、昔に生きていた人も後代の人々の間からは、忘れ去られていくので、空しいと言ったようです。 このように人の生き死にがずっと続いていくことは空しく、仏教用語の「無常」と言ってもいいと思います。 仏陀が考えていたように、聖書も人は不滅の魂あるいは霊魂を持っているとは教えていません。聖書は人を何度も「死すべき人間」と呼んでいます。そして、「朝に花を咲かせ」ても「夕べには枯れて,必ず干からびる」「移り変わる青草」のようだと言っています。(詩編90:5,6)
聖書によると、人間は枯れて干からびる花や草になぞらえられています。草や花が不滅の存在ではないように、聖書は本来は、神から独立しては人間が滅びて存在がなくなるはかない存在であると教えています。さらに、聖書には、人は死ねば塵になる、すなわち、存在しなくなると書かれています。(創世記3:19)
確かに、聖書は、死んだ人は、なんの感情も持っておらず、存在がなくなっていると言っています。(伝道の書9:5。イザヤ26:19)それは、仏陀の教えた解脱の状態に似ているかもしれません。 しかし、死んでしまって、将来生き返ることがないのであれば、わたしはそれはあまり良い希望だとは思いません。 わたしたちが永遠に存在し続ける方法はただひとつ、永遠の神に記憶していただくことです。そうしなければ、生きている間、どんなに権力を振るった人であっても、どんな賢明な人であっても、どんな偉人であっても、時が経つと人々の間から忘れ去られてしまいます。
後世の人々は聖徳太子のような賢い人であっても個人的になつかしく思う人々がいなくなってしまい人々の記憶から忘れ去られていく
聖書は、将来、苦しみがない楽園が実現し、大抵の人類はそこに復活することができると約束しています。エホバ神は、ご自分の崇拝者のアブラハムやダビデやダニエルなど、彼らが死んで何百年も経ってから彼らのことを言及されました。(出エジプト3:6) ですから、私たちが生きている間神との関係を築いて、神に覚えていただくならば、将来定めの時に、私たちは神に思い起こしていただいて、復活させていただけます。
将来アブラハムが復活するように神によって復活させていただける
そして、仏陀が教えたようなむなしい諸行無常の状況は、神が最初の人間に最初から望まれたことではありませんでした。もともと人間は、神との良い関係があれば、永遠に生き続けるように創造されていました。
人間は命の源である神に依存していて、その方に従順であれば、アダムとエバの死ぬ過程は始まりませんでした。ですから、仏教の「諸行無常」は神から離れて神との良い関係を持っていないアダムの子孫にあてはまる残念な状況を描写することばです。◎仏陀の教えた修行による神通力 仏陀は、自分の神通力について弟子たちに説明したようです。神通力、すなわち、霊能力は聖書は、存在することは認めていますが、それは悪霊による超能力であると教えています。 神通力の習得の教えはヒンズー教、チベット仏教、オウム真理教に見られます。しかし、悪霊からそうした力を受けることを追い求めるのは望ましいことではありません。 仏陀は、修行によって人の心を読むことができたり、過去の世の生を見ることができる神通力を得られると教えました。でも、聖書は、そうした超能力の存在を認めてはいますが、そうした力は悪霊に由来するもので、悪霊に支配されるので、それを退けるようにと教えています。(使徒16:16) しかし、仏陀は、断食したり瞑想したりすることによって、解脱の境地に至れるとも教えました。 しかし、もし、仏教の教えが、修行によって永遠に神あるいは仏になるということなのであれば、聖書によると、人間は、苦行や修行などの自分の努力によって、神あるいは不滅の霊者になることはできないと言っています。それは、人間の教えに従うことで、なんの救いにもつながらないと言っています。(コロサイ2:21,22) 人間は、他の人を生き返らせることもできないのですから、同様に、自分の努力によって、不滅の存在となることはできません。そのことを可能にするのは、創造者エホバ神に対する信仰だけです。そして、エホバ神が備えられたキリストの贖いの犠牲に頼ることです。 創造者エホバ神だけが、人間を再創造して、不滅の存在にすることができると思います。◎仏陀の教えた死後の世界 弟子の一人が『人間は死んだ後に一体どうなるのですか』と釈迦に尋ねると、『死後の世界を思考するな。今世の今を大切に生きよ』と死後の世界より今世の今を重視する教えを弟子に話していたとされます。ですから、ブッダの思想では現在の生きている時の行いで未来や死後の世界が決まると考えていました。 ですから、仏陀そのものは地獄を教えていませんでした。少なくとも強調してはいませんでした。仏陀は、ただヒンズー教徒だったので、輪廻を信じていました。それで、彼の概念には、地獄の概念が見当たりません。(2)インドでの仏教の衰退とチベット仏教が始まる インドでは、西暦前のアショカ王の時に、インドを越えて広がりました。それで中国の僧である玄奘がインドを訪ねたこともありました。その後、インドではヒンズー教やイスラム教の勢力に押されて衰退しました。一時は、仏陀の故郷もどこにあるか分からなくなりました。 そして、インドでは、wikiによると、19世紀末には、いったん絶滅したとされています。しかし、チベットのダライラマ14世がインドに亡命し、仏教が復興してきています。ダライラマ14世はチベット政府によりダライラマ13世の生まれ変わりとみなされチベットで教育を受けました。
また、チベット仏教では、生まれ変わりを教え、彼は神通力を持っているとされて、敬意を払われました。彼は、オウム真理教からは一億円、CIAからは、1960年代に、170万ドルにのぼる資金援助を受けました。彼はノーベル平和賞を受けました。
それで、仏陀はヒンズー教を信じていたので、輪廻と生まれ変わりを信じていました。そして、彼は神通力を修行によって身に着けられると教えました。チベット仏教のダライラマも神通力を使えるということを教えています。
聖書は神通力の存在を否定はしていませんが、超能力は、神ではなく悪霊に由来するので、その力を身に着けることを追い求めないようにと勧めています。
さらに、仏陀自身が教えた解脱と涅槃というのは、もう生まれ変わりのない状態に入ることを意味しています。仏陀は生きていること自体が苦しみだと考えたので、もう二度と生まれ変わることがないことを望みました。そのため、彼自身は、死後に、神や仏など、意識ある存在に生まれ変わることを教えませんでした。それで、普通の仏教徒は、仏陀の仏教の教えを誤解していると思います。
わたしは、聖書は、再び人間がこの地上に人間として復活することを約束しているので、そちらの希望の方がまさっていると思います。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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