古川第一郎
日本キリスト改革派 南越谷コイノニア教会牧師
「預言者」。その意味は、「その時代に向かって、警告を発する人」。不正を告発し、差別や暴虐を批判する。相手が民衆であろうと王様であろうと、堂々と語る。喜ばれようと拷問に遭おうと、語るのをやめない。これが、預言者の姿です。強く、りりしいイメージがあります。
しかしエレミヤはちがいました。気の弱そうな顔をしています。脅かされると悲鳴を上げ、あまりの迫害のひどさに、「もう、私は、語りません」と言って、逃げてしまいます。でも、神様は逃がしません。エレミヤは殴られても蹴られても、語りつづけ、穴に吊るされても恋人を奪われても、語り抜きます。その預言は、味方には拒否されましたが、敵の心を和らげました。
この作品には、多少のフィクションが入っています。それがあることによって、メッセージがもっと立体的に、はっきりと浮き彫りにされます。たとえば、「彼らは、肥えて、つややかになり、悪事に進み、さばきについては、みなしごのためにさばいて幸いを見させず、貧しい者たちの権利を弁護しない。」(エレミヤ5:28)この言葉が持つ重みは、これが語られる状況の描写によって、切ないほどに生きてきます。
エレミヤの婚約者であったユデトとその家族は、借金が返せないために裁判にかけられ、奴隷にされてしまいました。金持ち本位の不公平な裁判で、家も持ち物も没収されて家族全員が奴隷になっていく。このような不正と残虐を、預言者は糾弾します。これは、今の日本に対する糾弾でもあります。
ユダの王ゼデキヤは、大国バビロンに媚を売って王になりましたが、重い貢の要求に我慢ができず、バビロンを裏切り、ひそかにもう一つの大国エジプトと同盟を結んで、安全を図ろうとします。シャファン将軍と、「エジプトだ!」「バビロンだ!」と、どちらがユダを守ってくれるか議論している所に、首に枷をはめたエレミヤが入ってきます。「バビロンもエジプトも忘れなさい!!神に向きなさい!」これは、現代の日本にも向けられたメッセージです。不道徳と不正に染まった国。大国の言いなりになって安心しようとする国。真理を語るものを無視し、迫害してきた国。今にも迫っている危険に脅かされている国。それが、エレミヤがいたユダ、そして私たちがいる日本です。
バビロンの侵略のすさまじさ、廃墟になったエルサレム。そこに立って泣くエレミヤ。しかし、彼の口から出たのは、福音でした。「神は神殿を建てなおされる。こんどは、われわれの心にも」。厳しい預言者の言葉も、赦しの福音に包まれているのです。
このビデオ、見始めると、用事があってもなかなか立てません。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
Who We AreWhat We EelieveWhat We Do
2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.