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- マナ
出エジプトの後で、イスラエルの民が神から超自然的に与えられた食物。(1)マナという名称は、「マン・フー(これは何だろう)」から来ています。(2)マナは、夜、宿営に露が降りる時、それといっしょに地上に降りました。(3)マナは、コエンドロ(コリアンダー)の種のようで、その色はブドラハ(黄色がかった半透明の芳香ゴムの一種)のようでした。(4)民は、これを臼で引いて粉にし、なべで煮て、パン菓子を作りました。その味は、おいしいクリームの味のようでした。出エジプト記16:31によれば、その味は「蜜を入れたせんべい」のようだった、ともあります。(5)聖書の奇蹟を信じない学者たちは、このマナのことを、シナイ半島で生育しているギョリュウあるいはタマリクス・ガッリカの樹液ではないかと言います。しかし、そのような
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- 種なしパン
聖書時代には、パンを焼く時はすでに発酵したパン生地の小片を新しい粉に練り込んで、粉全体を膨らませてから焼いていました。この小片を、パン種と言います。種なしパンとは、パン種を入れないで焼いたパンのことです。(1)ヘブル語で、マッツァーと言います。(2)出エジプトを記念するパンとなりました。その理由は、エジプトを出る時急いでいたため、パン生地を発酵させる時間がなかったからです。その夜、イスラエル人たちはパン種を入れないパンを食べました(出エジプト記12:8、34、39 参照)。(3)過越の祭りは1日で終わりましたが、それに続いて、種なしパンの祭りが7日間ありました。イスラエル人たちは、過越の祭りと種なしパンの祭りの間の8日間、パン種を用いることを禁じられました(出エジプト記12:15参照)。この
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- 高き所
「高き所」とは、単に地理的に高い場所という意味ではなく、神を礼拝する場所を指す言葉です。(1)カナンの先住民の農耕祭儀は、山の上で行なわれていました。また、実際に高い所でなくても、そこで祭儀が行なわれていれば、「高き所」という用語を用いていました。(2)ソロモンの神殿が建設される前は、イスラエルの民も、「高き所」でヤハウェ礼拝を行なっていました(サムエル記9:12、10:5参照)。(3)カナンの地での定住生活が長くなるにつれ、イスラエルの民は異教の祭儀(特にバアル礼拝)に巻き込まれていきました。そうなって以降は、「高き所」は偶像礼拝の場所を意味するようになります。(4)南王国ユダの善王であるヒゼキヤ王は、偶像礼拝の罪を悔い改め、「高き所」を取り除き、石の柱を打ち壊し、偶像を切り倒しました。最
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- ミカエル
天使(神の御使い)の一人。天使長(御使いのかしら)、イスラエルの民を守る守護天使でもある。(1)ミカエルとは、「だれが神のようであろうか」という意味です。(2)天使のミカエルは、「第一の君のひとり」(ダニエル書10:13)と呼ばれています。「第一の君」とは、国や民族を守る守護天使のことで、たくさん存在しています。ミカエルはその中のひとりです。(3)天使たちの地位はピラミッド型の階級制になっており、上位に行くほど大きな権威と力を持っています。しかし、最下位の天使であっても人間以上の力があります。階級制というのは、堕天使たちの場合も同じです。堕天使の頂点にいるのがサタンです。(4)ミカエル(天使長)に関する言及がある他の聖句としては、以下のようなものがあります。・テサロニケ人への手紙第一4:16
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- 位置的真理
キリストを受け入れた者が、キリストにあってどのような立場に置かれているかを示す真理。聖書にある「キリストにあって」という言葉が、クリスチャンの新しい位置を示している。例:「このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい」(ロマ6:11)(1)位置的真理は客観的真理です。(2)キリストを受け入れた者は、神との新しい関係に置かれています。(3)義認も、聖化も、栄化も、すべて人間的努力によってではなく、「キリストにあって」可能となります。出典:クレイ聖書解説コレクション「ローマ人への手紙」
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- 穀物のささげ物
「穀物のささげ物」は、血の伴わないささげ物です。しかし、通常は、血の伴った「全焼のいけにえ」に続いてささげられていました。これは、罪の赦しを受けた者が、神の恵みに感謝してささげる物です。つまり、礼拝者から神への「贈り物」というわけです。(ヘブル語では「ミンハー」、口語訳では「素祭」、新共同訳では「穀物の献げ物」となっています。)出典:クレイ聖書解説コレクション「レビ記」
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- トーフー・ワ・ボーフー
カオス(混沌)を表現するヘブル語。「トーフー」は、混沌とした状態のこと。「ワ」は、接続詞。「ボーフー」は、何もない状態のことを指す。出典:クレイ聖書解説コレクション「創世記」
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- モレク
モレクというのは、元々はアモン人の神で、ミルコムともモロクとも呼ばれました(列王記11:7、11:33、使徒7:43)。(1)レビ記は、はっきりとモレク礼拝や子どものいけにえを禁じています(レビ記20:2〜5)。(2)モレクの神殿をエルサレムの南西にあるベン・ヒノムの谷に建てたのはソロモンです。恐らく、異教徒の妻たちのために建てたのでしょう(列王記11:7〜8)。(3)モレクの神殿には、雄牛の頭を持った青銅の像が手を突き出した形で立っていました。モレク礼拝をする者たちは、その手の上に子どもを載せ、下から火をたいていけにえとしました(レビ記18:21)。子どもの叫び声を消すために、モレクの祭司たちは太鼓をたたき続けました。(4)モレク礼拝を行なったのは、ユダの王アハズ(列王記16:3)です。(
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- 啓明
聖書を読む際に聖霊から与えられる理解力や悟りのこと。コリント人への手紙第一の「御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです」(1コリント2:14)という言葉は、「啓明」を説明した言葉です。
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- 仮庵の祭り
イスラエルの秋の例祭の第三番目に当たります(例祭全体の第七番目に当たります)。三つの巡礼祭の一つ。(1)第7の月の15日が、仮庵の祭りに当たります。7日間の祭りですが、それに8日目も加わり、この日にも労働をしてはならないと命じられました。(2)祭りの期間、特別ないけにえが献げられました(民数記29:12〜34参照)。雄牛は合計70頭献げられました。古くからユダヤ教のラビたちは、その70頭は、ノアの子どもたちから派生した70の異邦人の国々(創世記10章)を象徴していると解釈していました。ユダヤ教の初期の段階から、仮庵の祭りが異邦人の国々と関連付けて理解されていたのは、大変興味深いことです。(3)祭りの期間、仮庵に住むようにと命じられています。仮庵を作るための材料は、美しい木の実、なつめやしの葉
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- 福音の三要素
福音の三要素とは、①キリストは、私たちの罪のために死なれたこと、②キリストは葬られたこと、③キリストは三日目によみがえられたこと、この3つです。救われるためには、この福音の三要素を受け入れる必要があります。「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです」(1コリント15:3〜5)。出典:クレイ聖書解説コレクション「ローマ人への手紙」
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- 執事
執事と訳された語は、ギリシヤ語では「ディアコノス」です。紀元1世紀の教会には、監督と執事という職制がありました(長老は、監督と互換性のある語です)。監督は聖書を教え、霊的指導を行ないました。それに対して、執事は実務的役割(管理、慈善活動など)を負ったようです。(1)エルサレム教会で、「7人」の奉仕者が選ばれていますが(使徒6:1〜6)、彼らが執事の起源であったかどうかについては、大いに議論のあるところです。ただし、彼らが行なった奉仕の内容は、執事職そのものです。(2)使徒たちは、「もっぱら祈りとみことばの奉仕に励む」こととなり、選ばれたこの7名が、「食卓のことに仕える」ようになりました。(3)その後しばらくして、各地の教会に執事職が定着したようです(ピリピ1:1、Ⅰテモテ3:8以下参照)。出
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- シャカイナグローリー
シャカイナグローリーとは、神の臨在が人間に知覚できる現象となって現れたものです。その具体的な現れとしては、光、火、煙、雲、雷、雹、角笛の音などがあります。語源としては、「シャカイナ」はヘブル語で「シャカン(隣人の間に住む)」という動詞の名詞形です。「グローリー」は英語で「栄光」という意味です。この2つの言葉を組み合わせて、「神の臨在に伴う栄光」という意味となります。聖書に出てくるシャカイナグローリーの例としては、エジプトを脱出したイスラエルの民を荒野で導いた「雲の柱と火の柱」(出エジプト13:21〜22)や、モーセがシナイ山で神から律法を授かる時に現れた「雷といなずまと密雲、角笛の音、火、煙」(出エジプト19:16〜20)などがあります。信仰は誰のためか〜聖書を読み解くキーワード:〈神の栄光
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- 無律法主義
恵みによって救われた信仰者は、いかなる道徳律にも支配されないという考え方。出典:クレイ聖書解説コレクション「ヤコブの手紙」
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- しゅろ
日本語で「しゅろ」というと、扇形のわじゅろ、とうじゅろなどを想像します。しかし、聖書で「しゅろ」と訳されている言葉は、「フォイニクス(ギリシヤ語)」で、それは「なつめやし」を指す言葉です。なつめやしの葉の形は、鳥の羽のようになっています。この葉は輪型にして、祝い事に用いられました。主イエスのエルサレム入城に際しては、この枝が振られたり、道に敷かれたりしました。教会暦で「しゅろの聖日(主日)」というのは、復活祭の前の日曜日のことです。民衆がしゅろの枝を手に持ったり、道に敷いたりして主イエスを迎えたことから、この名がつきました。ヨハネの黙示録7:9 には、主イエス・キリストによって救われた聖徒たちが、終末において、しゅろの枝を手に持って小羊の前に立つと書かれています。出典:クレイ聖書解説コレクシ
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- 栄化
救いが完成した状態を言います。聖書が教える「救いの3要素」の一つ。(1)栄化とは未来形の救いです。(2)信者がやがて栄光の姿に変えられることです。出典:クレイ聖書解説コレクション「ローマ人への手紙」
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- 使徒
原語のギリシア語で「アポストロス」。この言葉には、遣わされた者、メッセンジャーなどの意味があります。(1)使徒職は、教会に与えられた最高の賜物です(1コリ12:28)。(2)ユダヤ的考え方では、遣わされた者は「代理人」です(ヘブル語でシャリアハ)。遣わされた者は遣わした者と同一人物である、つまり、同じ権威をもって行動し交渉(商売)するという理解がそこにあります。(3)新約聖書にも「代理人」の概念があります。イエスは究極的な意味で、神の「代理人」です。「神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである」(ヨハ3:34)。 新約聖書では、2種類の使徒たちがいます。(1)12使徒たち。彼らは、イエスが洗礼を受けた時から弟子であった人たちであり、復活のイエスに出会
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- ペテロ
イエスの弟子。十二使徒のリーダー的存在。ヘブル名はシモン(ヤコブの12人の息子のひとりシメオンの変形)。ペテロはイエスから与えられた新しい名で、アラム語でケパ、ギリシヤ語でペテロ(ともに岩の意)。出典:クレイ聖書解説コレクション「ペテロの手紙第一・第二、ユダの手紙」
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- 毒麦
毒麦とは、いね科の「Lolium temulentum L.」のことだと言われています。(1)これは、路傍でもよく育つ植物で、それ自体に毒はなくても、毒麦が混入した小麦粉は苦味を持っていると言われます。(2)小麦畑に混生することが多く、小麦と同じ収穫時期に他の雑草と同じように穀粒が脱落しないまま、小麦といっしょに収穫されることが多くあります。イエスの「毒麦のたとえ」は、そのような背景のもとに語られたものです。出典:クレイ聖書解説コレクション「マタイの福音書」
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- ロシュ・ハシャナ
ロシュ・ハシャナは、ユダヤ暦の新年祭のことです。「ロシュ」は頭、「ハ」は冠詞、「シャナ」は年という意味です(レビ23:24)。(1)ユダヤ教では、狭義のロシュ・ハシャナは、ティシュリーの月の1日と2日です。広義のロシュ・ハシャナは、1日から10日(ヨム・キプール)まで続く期間を指します。(2)この日には、ラビがシナゴーグで角笛を吹きます。1日が安息日に当たる場合は、2日に吹きます。(3)ユダヤ人の過程では、「年の頭」にちなんで魚の頭を食べたり、甘い年になることを願って蜂蜜をかけたリンゴやザクロなどを食べたりします。(4)正統派のユダヤ人たちが行う儀式があります。朝の礼拝が終わると、彼らは水辺(海、川、泉など)に出て行き、ポケットを裏返しにして、その中のゴミをすべて水の中に捨てます。これは、象
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- 6Nadab - International Standard Bible Encyclopedia
- 7Rakem - International Standard Bible Encyclopedia
- 8Tappuah (1) - International Standard Bible Encyclopedia
- 9'ărî'ēl - King James Version
- 10šālâ - King James Version
- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......